野村 裕司さん・目次

野村 裕司さん:桐生の左官、海を越える

「現代の名工」として伝統の漆喰技法を極め、東南アジア諸国で技術伝承に尽力。1g単位の色合わせや新工法の開発など、飽くなき探求心で左官の可能性を広げる。後進育成を天命とし、鏝一本で世界を繋ぐ。(全23回)

第1回:プノンペン2015年、桐生の左官・野村裕司さんはカンボジアの地に立った。物見遊山ではなく、日本の左官技術と検定制度を現地に根付かせる「公務」。少年時代からの異国への憧れと職人としての探究心を胸に、日本代表としての真剣勝負が幕を開ける。
第2回:コーナー定規カンボジアの職業専門校で、左官技能検定の導入に挑む。しかし、用意された架台は精度が低く、道具も材料も劣悪だった。野村さんは持参した日本製の定規を手に自ら架台を修正。日本の技術を伝えるための土台作りが始まった。
第3回:開講式国を挙げた期待の中、左官技術伝習の開講式が挙行された。日本代表としての誇りを胸に、現地の教官らへ技能検定制度の講義を開始。通訳を介した慣れぬ意思疎通に時間を費やし、実技指導を前に初日を終える。
第4回:試技実技指導に臨む野村さん。鏝一本で正確な平面を出す日本伝統の「口の字」の塗り方を伝授する。道具の構造も使い方も異なる現地の教官らに丁寧にコツを指南。二度目の試技で全員を合格レベルへ導いた。
第5回:3度の夕食会熱心な生徒ら全員を合格へ導いた野村さん。指導は昼間だけではなく、自費で夕食会を3度も開き、夜更けまで技術を語り合った。単なる講師を超えた「技の伝道師」。カンボジアの若者に希望の灯を灯した。
第6回:遅刻常習犯異例の4度にわたるラオス派遣。野村さんは、治安が良くのんびりとしたお国柄に惹かれつつ、遅刻常習犯の大学講師を叱る。しかし彼らの学習意欲は貪欲で、政府職員の強い要望が原則を曲げ、再招聘を実現さたのだった。
第7回:ラオス型実技試験日本の検定内容が現地のニーズと乖離していることに気づく。レンガ積みが主流のラオスに合わせ、自立式の壁を塗る独自の実技課題を考案した。揺れる架台や延びない材料などの難題も、現地の海藻を混和剤に活用する工夫で克服。「ラオス型試験」を完成させた。
第8回:日本—ラオス対抗戦ラオスの建築現場で、現地の女性職人と壁塗り競争を挑まれた野村氏。延びの悪い未開拓のモルタルに苦戦する中、スピード重視の現地流に惜敗を喫する。しかし、精度を追求した日本流の仕上がりは称賛を集めた。勝負を超え、職人同士が技をぶつけ合った清々しい「交流戦」となった。
第9回:思い出のラオス日本まで技術を学びに来た熱心な工務店社長へ、自費で攪拌機を贈りその志に応えた。損得抜きで技術と真心を分かち合った日々。4度の訪問を重ねたラオスは忘れ得ぬ特別な国となった。
第10回:堺駿二左官になる気は全くなかった。家業の苦労を目の当たりにし、憧れたのは喜劇役者の堺駿二。高校時代はコント作りに没頭、本気で芸能界入りを画策する。芸人の道へ半ば足を踏みかけた夢多き少年は、いかにして左官の道へと戻ったのか。
第11回:逃避卒業前。喜劇役者の夢と長男の責任の間で揺れる野村さん。決断を先延ばしにするための大学受験に失敗し、ついに「左官になる」運命を受け入れる。18歳の春、現実から逃げ場を失ったまま踏み出した第一歩は、葛藤に満ちた望まぬ門出だった。
第12回:イヤでイヤでたまらない仕事働き始めた野村さんを待っていたのは、砂埃にまみれる過酷な下準備の日々。仕事に誇りを持てず、同級生の女子を避けて隠れるほど屈折していた10代。唯一の救いは、愛車N360でのドライブと親友との時間だった。
第13回:交通事故負けず嫌いな性格から職業訓練校へ。しかし、22歳の時に居眠り運転で重大な正面衝突事故を起こしてしまう。被害者や家族へ深々と頭を下げる父の姿を目の当たりにし、己の過ちを猛省。償いとして、逃げ続けてきた左官の道で頂点を目指すことを誓った。
第14回:バカヤロウ!手抜きをせず基本を貫く仕事が「野村はいい仕事をする」と評判を呼ぶ。自信を深めた頃、恩人・小林社長から「雨でも現場へ行き、客へ断りを入れるのが職人だ」と叱責を受ける。腕だけでなく、客の想いに応える「誠実さ」こそが看板の根幹だと学ぶ。
第15回:日本1の左官になれ「一芸に秀でろ」という恩人の言葉を胸に、左官一筋の道を邁進する。その誠実な仕事ぶりは施主から娘の縁談を申し込まれるほどの信頼を得た。青年大学で教養を深め、趣味のバドミントンを通じて最愛の妻とも出会う。
第16回:研究「一芸に秀でる」ため材料の研究に没頭する。最高級の石灰や希少な聚楽土を求め京都へも足を運び、独自の配合を模索。100冊を超す専門書を読み込み、現場の土を活かす創意工夫を重ねた。
第17回:3位32歳で左官技能競技の全国大会出場を決めた。県3位だった2年前の雪辱を誓い、仕事の傍ら研究した成果をぶつける好機を得る。漆喰や石膏装飾など、現代建築では稀な最高難度の技が求められる過酷な舞台。父に店を預け、「日本一」へ向けた猛特訓が始まった。
第18回:そして、3位全国大会に挑んだが、不測の事態と水温の差による石膏の不具合に苦しみ、結果は3位。悲願の日本一は逃したが、競技の「受験秀才」ではなく、現場で施主の役に立つ真の技術者を目指す覚悟を固める。
第19回:どんな日本一に?全国の「名人」を訪ね歩いた。風土が生んだ多様な技に触れる中で、1人の名人を目指すのではなく、後進を育て組織として「日本一」を目指す決意を固める。挫折を謙虚な学びに変えたこの転換点こそが、後に世界へと広がる技術伝承の原動力となった。
第20回:最高の職人の仕事 その1難しい漆喰の色再現を求められ、多くの職人が辞退した現場に挑んだ。150枚に及ぶ色見本を作り、何度も怒声を浴びながら1g単位の配合を試し続けた。ついに施主から「この色だ」と認められた瞬間、信頼は確固たるものへ。
第21回:最高の職人の仕事 その2文化財移築に伴う難工事「漆喰の蛇腹引き」。名だたる業者が断る中、野村氏は絶対の信頼を受け、その技を発揮する。長年固辞し続けた「現代の名工」も、後進の道を拓くために受章。ついに「最高の職人」として公に認められる至時を迎えた。
第22回:伝統と革新伝統の「小舞下地」に鉄素材を導入し、影盛漆喰を軽量化するなど、古来の技に現代の知恵を融合させ進化させてきた。技を磨くだけでなく、次代を担う子供たちのために「泥だんご」を作り続ける。
第23回:リベンジ弟子に伝授した「4本引き」や継ぎ目のない装飾技法で、リベンジを果たした。一線を退いてもなお、文化財修復の指名は絶えず、頭の中は常に新技術への探求心で溢れている。生涯現役を誓い、鏝を握り続けるその手は、これからも土に新たな命を吹き込み続ける。