桐生の左官、海を越える 野村裕司さん  第23回 伝統と革新

左官日本一を目指して第20回全国左官技能競技大会に出場した野村さんが、石膏の置き引きで失敗したことはすでに書いた(第18回 そして、3位)。だが、転んでもただでは起きないのが野村さんである。広島県三次(みよし)市からわざわざ前橋市に引っ越し、野村さんに弟子入りした宮地健さんが2007年の大会に出ることになると、石膏の4本引きを考え出し、みごと宮地さんに習得させたのだ。

石膏の置き引きは「第17回 3位」で書いたように、平らな台に盛り上げた石膏を型で引いてモールディングを作る技術である。普通は1本ずつ引く。これを4本まとめて引いてしまおうというのだ。

「ええ、大会前にボンヤリと考えていて思いついたのです。大会は制限時間内に課題を完成させなければなりませんので、一度に何本もモールディングを作ることができれば有利になりますから」

弟子が技能五輪に出た時、2本引きしている出場者を見たことがある。型を2つつなぎ、ガイドに沿って引いていた。

「なるほどな」

その工夫ぶりに感心した。宮地さんが大会に出ることになった時、

「2本同時に引けるのなら、4本も引ひけるのではないか?」

と工夫を重ね、で宮地さんに練習させた。無論、最初は上手くいかなかった。置き引きは石膏の固まり具合との闘いである。柔らかい間は型で引いてもひしゃげてしまう。そこにまた石膏を盛り、型で引く。この作業を4本同時に進めるには……。

  4本引きに挑む宮地健さん

水で練った拙稿を置く台を「引き台」という。90㎝×180㎝ほどの大きさだ。2本引きしていた出場者は180㎝の方にガイドを取り付け、2つつなげた型で引いていた。であれば、反対の側にもガイドを取り付けたらどうだ? そしてそれぞれのガイドに沿って、2つつなげた型で引けば、1度に4本のモールディングが出来るはずだ!

大会で宮地さんはみごとに4本引きを実演した。あっという間に課題をこなした宮地 さんは、置き引きに取り組み続ける競技者の中でただひとり、時間をもてあました。関係者はその早技に度肝を抜かれたという。

「私はこの大会にコーチとして参加したのですが、もう1つ工夫したんです」

円柱に漆喰を塗り、そこにレースを押しつけて模様を描くという課題があった。

「普通はレースを円柱に巻きつけるのですが、それだとどうしても継ぎ目が出来ます。この継ぎ目を何とかしてなくすことは出来ないか、と考えて……」

レースを30㎝の幅に切って斜めに巻きつけたらどうか。巻きつけながらレースの柄を継ぎ目で合わせれば、継ぎ目が見えなくなるはずだ。

大会前、13回練習を重ねた。やっと継ぎ目が見えなくなった。

「大会当日はね、宮地君が30㎝幅のレースを円柱に巻きつけ始めると、どっと見物が押し寄せたんです。そりゃあ、ほかの選手はレースを円柱に巻きつけるだけ。ところが宮地君は30㎝幅に切ったレースを上から斜めに巻いているのだから、『こいつ、いったい何を始めたんだ?』と関心を引いたらしいのです」

宮地さんは、みごとに継ぎ目のない模様を円柱に描いた。13回も繰り返した練習が生きたのである。場内にどよめきが起きたのをはっきり覚えている。

だが、宮地さんは2位だった。優勝者とわずか1点差の2位である。

「実質は彼の優勝でした。一部の人にしか知らされていなかった競技条件を彼は知らなかったので大きく減点されてしまったのです。1位との点数差はわずかに1点。あの条件を彼が知っていたら、彼が日本一でした」

野村さんは2021年1月、71歳を目前に野村左官店を長男の卓矢さんに譲った。

「私が父から仕事を受け継いだのは32歳の時でした。息子も30代後半になったので、そろそろ潮時かと」

だが、いまでも頭の中は現役のままである。より美しく、より早く、より作業性がいい仕事の仕方はないか? いくつもの「?」がいつも存在している。

だからだろうか、いまでも難しい仕事は野村さんご指名で来る。2022年夏から秋にかけて沼田市出身の土木技術者、衆議院議員の久米民之助が東京・渋谷に構えていた鉄筋コンクリートの洋館、「旧久米家住宅洋館」が、ゆかりの沼田市に施設された際、左官工事は

「野村さん、あなたにしか出来ない」

と頼み込まれ、2ヵ月かけて仕上げた。群馬県嬬恋村鎌原(かんばら)地区から

「江戸時代に建てられた地区所有の土蔵の修復をしたい」

と声をかえられたのは2021年5月である。9月から11月まで3ヵ月かかった。
そして2023年から2025年にかけて、桐生市本町1,2丁目の重要伝統的建造物群(伝建群)の一角で進む土蔵の修復も野村さんの仕事である。

「ええ、息子に仕事を譲って、私は片付け仕事でもしていようかと思っていたのですが、なかなかそうはいきません」

——身体が空いたら何をしたいですか?

「土で何かを作りたいですね。そうそう、ピザ窯を作って欲しいというお客さんがいるのですが、なかなか手がつけられなくて。それが出来たら、全部土で出来て2,3人が入れる家を作り、宴会をやりたいな、と。それに、土で鳥を作るなんてことも考えています」

どうやら、野村さんは鏝(こて)を手放す気はないらしい。事務所の棚には100本を超す鏝が飾ってある。

「死ぬまで鏝を手放す気はありません」

写真=野村さんの事務所には100を超す鏝(こて)が飾ってある

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