さかもと園芸

桐生市黒保根で親子二代、世界に誇るアジサイとシクラメンを育む。初代が築いた日本初の交配技術と、二代目が挑むITを駆使した近代経営。時代は変われど、花にストレスを与えない慈しみの心で理想の一輪を追求し続ける。
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第1回:黒保根明治の生糸輸出の先駆者を輩出した黒保根。その地で世界最高賞のアジサイを作り続ける家族がいる。。
第2回:サボテン坂本正次さんはサボテンでの起業を志すが、市場調査の末に断念した。「やり方を工夫すれば何とかなる」という甘い考えは持たなかった。
第3回:結婚正次さんは花作りを一生の仕事と定め、谷澤園芸で修業を開始。結婚後、新婚旅行もせず黒保根での第一歩を踏み出した。
第4回:土地探し理想の条件を求め北関東を奔走し、黒保根の原野を取得。周囲の反対や農地法の壁を誠意で乗り越え、農園を開いた。
第5回:5年必死の思いで挑んだ5年間。極貧生活の中、初の子を早産で亡くすが夫婦で乗り越え、独自のアジサイ育種という次なる夢へ進む。
第6回:アジサイ日本初のアジサイ交配に挑戦。米粒大の真花と向き合う根気のいる作業を経て、美しく強い「日本人が好む淡いピンク」を産み出すことに挑んだ。
第7回:交配の結晶鉛筆の点ほどの種を息を詰め採取し、2年越しで狙い通りの桜色のアジサイを咲かせた。厳格な選別を経て、正次さんは理想の1本で勝負する。
第8回:ミセスクミコ愛妻の名を冠した「ミセスクミコ」を創出。国と協力しパテントの枠組み自体を構築した。爆発的人気を得たが増産に走らずなかった。
第9回:フロリアード1992年、花のオリンピック「フロリアード」に出展。オランダ女王を感嘆させた「ミセスクミコ」の裏には、徹底した防疫と1000鉢に及ぶ準備に奔走した正次さんの努力があった。
第10回:金賞オランダで2大会連続の金賞を受賞。快挙だが、「これ見よがし」を嫌い、名誉に溺れることはなかった。
第11回:シクラメン徹底した種取りで国内シェア1割に。種苗会社の依頼に応え、5年の歳月をかけフリル付きの新種「プルマージュSウェーブ」を完成させた。
第12回:開花促進剤「花にストレスを与えない」自然な育成を貫く。その愛情に応えるように生まれた八重の新種「ウィンク」は、2度の農林水産大臣賞に輝いた。
第13回:佳子さん米国留学で出会った佳子さんとラオス出身のチャイさん。遠距離恋愛を経て結婚し、未経験から花作りの世界へ。次世代への継承が始まった。
第14回:世代交代正次さんの急病で、チャイさんはオランダ留学を断念。不退転の決意で農園を継ぎ、正次さんが築いた技を次代へ繋ぐ「ゼロからの出発」を決断した。
第15回:必死に学んだ義父の急病で、知識ゼロで経営を担うことになったチャイさん。言葉を交わせぬ義父のメモや書籍を頼りに独学を重ね、必死に技術を吸収した。
第16回:チャイ式正次さんの手法をなぞる段階から、データに基づき作業手順や土作りを抜本的に見直す「チャイ方式」へ。生産量と質をかつての水準以上に安定させた。
第17回:フラワー・オブ・ザ・イヤー正次さんの背中を追い、新種開発に挑むチャイさん。色と形が劇的に変化するアジサイ「KEIKO」を創出し、鉢物部門の最高賞を受賞した。
第18回:変化正次さんの設備を継承しつつ、ITで遠隔管理を実現。「楽をするために頑張る」チャイ流経営で、仕事と私生活を両立させる近代的な事業体へ。
第19回:再びフロリアード正次さんが手にした世界最高賞を再び。チャイさんは自らのアイデンティティと経営戦略を賭け、オランダのライセンス網を駆使した合理的な手法で「花のオリンピック」の頂点を目指す。
朝倉染布

創業明治25年。織都・桐生の地で培われた高度な染色加工技術を持つ。おむつカバーの撥水加工や五輪競泳水着の進化を支えた。一度は時代の波に押されて捨てかけた技術を「超撥水風呂敷・ながれ」へと昇華させ、数々の賞を受けた。
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第1回:魔法の布水を弾くが通気性もある超撥水風呂敷「ながれ」。染色加工技術から生まれた「魔法の布」だが、背景には「おむつカバー」への情熱が。
第2回:おむつカバーかつて赤ちゃんを悩ませた「おむつかぶれ」。蒸れを防ぐには「水は通さず空気は通す布」がいる。1970年代後半、東レが開発を朝倉染布に託した。
第3回:共同特許1980年、蒸れないおむつカバーの開発に成功。しかし洗濯による機能低下や、加工現場で使用する有害な有機溶剤の危険性という大きな課題が残った。
第4回:ガスマスク有害な溶剤から社員を守るため、ガスマスクを常備し高額な密閉機械を導入。だが、溶剤が機械を腐食させた。安全な撥水剤の自力開発を決意した。
第5回:エマルジョン化水に溶けない撥水剤を、界面活性剤を用いて水に溶かす「エマルジョン化」に挑む。試行錯誤の末、100回の洗濯にも耐える超撥水技術を確立した。
第6回:パンパース市場を独占した朝倉染布の撥水布だったが、1970年代末に上陸した「パンパース」に圧倒される。需要は激減し、事業撤退を検討する窮地に陥った。
第7回:奇跡の糸1960年代、伸縮自在な「奇跡の糸」スパンデックスの染色加工に挑む。4年の試行錯誤で道を拓き、下着やスポーツウェアの進化を支える先駆者に。
第8回:競泳用水着1970年代、水の抵抗を減らす「武器」として水着が進化。身体を締め付けるスパンデックスに白羽の矢が立ち、開発チームの重要拠点を担った。
第9回:伸縮度水着に理想の伸縮度を与えるため、スパンデックスの熱処理温度をミリ単位で制御。この技術が、ソウル五輪での鈴木大地選手の金メダル獲得を支えた。
第10回:色落ち塩素にさらされる競泳用水着は色落ちとの戦い。採算度外視で洗浄工程を極め、自社内に猛烈な濃度の塩素プールを造って妥協のない品質を追求した。
第11回:魔法の糸と撥水加工水の抵抗を減らす「撥水」が競泳界の主役に。独自技術を信じ、全面撥水の開発に注力。だが、秒単位で記録を更新する「レーザー・レーサー」登場で水着は革命を迎えた。
第12回:魔法の糸と撥水加工ルール改正で素材の主役は「織物」へ。数年かけ加工技術をゼロから再構築し、リオ五輪のメダルラッシュを支えた。競泳界を支える砦である。
第13回:脱下請け取引先の夜逃げを機に中間業者の高い利益率を知り、自社販売への挑戦を決意。しかし既存ルートの壁は厚く、2年目に早くも厳しい現実に直面した。
第14回:得意技術展示会での苦戦や在庫の山を経て、弁当包みをヒントに生まれた超撥水風呂敷「ながれ」。記者の目に留まったことで「雨具やシャワーになる布」として注目を浴び始めた。
第15回:「ながれ」はいまプロのデザインと演出を取り入れた「ながれ」は、グッドデザイン賞や国際的デザイン賞を相次いで受賞。災害時にも役立つ「命を守る布」として、世界が認めるブランドへと成長を遂げた。