芽生え
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第1回:かかってきた電話1999年、世界的な美術館からの1本の電話。無名のマフラーメーカーが芸術の扉を開く。
第2回:訪れたバイヤー古民家の作業場に現れた米国のバイヤー。正座の社長らと足を伸ばす客、畳の上で世界への扉が開かれた。
第3回:ワンダフル!「これは美術品です」。バイヤーの絶賛に驚く兄弟。実用品が芸術として認められた。
第4回:編み方古い編み機ならではの唯一無二の柔らかさ。非効率の中に宿る本質を、NYのバイヤーは見逃さなかった。
第5回:三段切り替え本体と房を同時に編む独自技法。職人の創意工夫が生んだ「三段切り替え」が、機能と美しさを両立させた。
第6回:職人魂「真似できるならやってみろ」。昨日より良いものを追求し続ける圧倒的な自負。
第7回:やっと来たか!「いつか誰かが見出すはず」。自らの技を信じ続けた職人の確信。
第8回:共同開発NYと桐生の共同開発。羽が生えたように売れ続けるマフラーが巨大市場を席巻した。
第9回:リブ編み看板商品「リブ編み」の誕生。NYのテーマカラーと桐生の独創的な技法が溶け合い、次なる傑作が産声を上げた。
第10回:常識破り発送順部中に来る追加注文。想定を遥かに超える熱狂に、それまでの「数」の常識は吹き飛んだ。
第11回:挑戦「下請けのままでいいのか」。NYの威光に甘んじず、自社デザインを提案。ブランド自立へ向かう。
第12回:デザイン力世界が認めたデザインの独り立ち。対等なパートナーとしてNYに認められ、自社ブランドへの確信を掴む。
第13回:名誉巨匠が遺した「色」を託されて。世界唯一の指名を受け、デザインから製造まで全てを任された最高の名誉。
第14回:そして、自立NYとの別れを乗り越え、自らの足で世界へ。恩人への感謝を胸に、桐生の技は今も各地の美術館で輝き続けている。
Knitting Inn
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第1回:会社を閉じよう「兄貴、もう畳もう」。低価格競争の嵐の中、どれほど歩いても注文が取れない。廃業するか?
第2回:「遅かった」だけ加速する海外生産と低価格の波。優秀な職人から解雇せざるを得ない苦境に。NYの成功の陰で、会社は沈みかけていた。
第3回:ニッチマーケット「うちの技術が潰れるはずがない」。美術館での成功をヒントに、隙間市場へ挑む新たな生存戦略へ。
第4回:苦し紛れ問屋頼みを脱し、消費者に直接売る。敵を増やすリスクを承知で選んだ、後がないからこそ踏み出せた。
第5回:美術館全国600の美術館を狙え。旅費すら惜しい窮状の中、電話と「NYでの実績」を武器に反撃が始まった。
第6回:スタートダッシュ「NYで実績あり」。なりふり構わぬ必死の電話営業に、美術館側が次々呼応。快進撃の幕が上がった。
第7回:手作り資料はゼロ、資金もなし。素人写真と手書きの文字をコンビニでカラーコピーした、手作りの資料で勝負。
第8回:大原美術館手書き資料が次々と扉を開く。名門・大原美術館も即決。自社ブランド比率が高まり、黒字転換へ。
第9回:養子ブランド名は「養子」だった。他人の挫折を拾い、大切に育んだ「KNITTING INN」。
第10回:ワシリー・カンディンスキーパリで出会った抽象画の巨匠。キャンバスに踊る多彩な色と形に魅せられ、色彩の魔術師への道が始まった。
第11回:KNITTING INN記憶の底から蘇ったブランド名。中学時代の英語の教科書が繋いだ「宿(Inn)」の響き。これしかない。
第12回:タタグとネーム「2万枚は必ず売れる」。資金難から自らデザインしたロゴを掲げ、確信と共に自社ブランドが産声を上げた。
第13回:大波が来た突然のテレビ放映で事務所はパニック。鳴り止まぬ電話、溢れるFAX。日本中が松井の色彩を求め始めた。
第14回:第二波止まらぬ注文。二度のテレビ放映を経て、松井ニットは「知る人ぞ知るブランド」として確固たる地位を築いた。
第15回:あいちトリエンナーレ「日本を代表する美」へ。国際美術展の公式グッズに選ばれ、減収増益という理想的な自立を果たす。
第16回:コートールド美術館ロンドンの名門が「KNITTING INN」の名を認め、全量買い取り。桐生の技が欧州の市場へ。
第17回:メゾン・エ・オブジェ国の支援でパリの国際見本市へ。世界のバイヤーが集う地で、スペイン・プラド美術館との運命の出会いが。
第18回:プラド美術館憧れの殿堂へ。スペイン語で直接交渉に挑んだ敏夫専務。神が与えた好機を掴み、運命の歯車が回り出す。
第19回:絵画をマフラーに名画をマフラーにする独創的な提案。親交は深まるも商談は進まず。名門の厚い壁に、焦りと弱気が募る。
第20回:初注文念願の初注文。名画をイメージしたマフラーは絶賛され、改良を経て300本がスペインへ旅立った。
第21回:浮世絵展浮世絵の褪せた色ではなく、江戸の役者が纏った「真実の色」を。智司社長の深い感性が名門を説得した。
第22回:プラド美術館の敬意(要約)「日本の色は日本人に任せる」。社長の見識に名門が敬意を表し、特製タグの採用と追加注文が即決された。
第23回:バルタサール・カルロス王子騎馬像日西修好150年。プラドの至宝をマフラーに。信頼が結んだ異例の公認で、名画の色彩が桐生の織物に宿る。
第24回:グッケンハイム美術館難題の「騎馬像」を制覇。次はカンディンスキー。憧れの地を目標に据え、ミッソーニ超えへと挑み続ける。
松井智司の「美」
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第1回:旅立ち23兆通りの色合わせから選ぶ「これだ!」。その美の根源にある、智司社長が育んできた感性を辿る旅へ。
第2回:虚弱児「育たない」と言われた虚弱な幼少期。母に背負われ東大病院へ通い、桐生の野山で逞しさを取り戻す。
第3回:藤娘豪華な舞台や着飾る女性たちに囲まれた幼少期。絢爛な「美」に魂を奪われた経験が、独自の感性を育んだ。
第4回:四丁目小町超一級の美意識を持つ叔母、そして料亭や旅館の意匠。洗練された「本物」に囲まれ、審美眼を磨いた少年期だった。
第5回:桐生の着倒れ「着倒れの街」桐生。最高の着物を纏う母や街を彩る芸者衆を見つめ、多感な時期に美の真髄を吸収した。
第6回:若鷹の爪絵が苦手だった少年時代。だが、合唱に励む傍らで西洋美術史に興味を持ち、美への探求が始まった。
第7回:変化父の死と家業の苦境。逆境で知性に目覚めた少年は、卒業アルバムの公募で人生初のデザイン採用を勝ち取る。
第8回:糸杉本物の西洋美術に触れ、感性がさらに拡大。ゴッホの色彩に日本の伝統美を重ね、独創的な美意識を確立した。
第9回:京都工芸繊維大学母を支えるため大学を断念。「工学」ではなく「工芸」にこだわった少年の直感が、未来の表現力を決定づけた。
第10回:対米輸出東京での修行で培った信頼と知識を手に桐生へ。輸出ブームの中、検品と機械改造に明け暮れ、家業を支えた。
第11回:茶の湯茶道に打ち込み、雪上での野点を楽しむ。幼少期の仕舞が活きた所作で頭角を現すが、本物への渇望も募る。
第12回:小堀遠州本物の茶道に触れ、小堀遠州の「綺麗さび」に開眼。その華やかさと雅の精神が、今のデザインの礎となる。
第13回:日米繊維交渉日米交渉で対米輸出が激減し、廃業寸前の危機に陥る。だがこの地獄こそが、OEMから脱却する転機となった。
第14回:デザイナーズブランド窮地を救ったのは新進デザイナーたち。川久保玲ら巨匠の過酷な要求に応え続け、職人技は芸術へと昇華する。
第15回:期待を裏切る巨匠らの想像を超える提案で信頼を獲得。共同作業を通じ「色」の力を知った社長は、表現者への道を歩む。
第16回:ヨーガン・レール天才デザイナーとの出会い。職人の意地で実現した「多色パイル地」の大ヒットが、極彩色の未来を拓いた。
第17回:多色のリブ編みレール氏の助言で挑んだ多色リブ編み。色の情緒を解する師との出会いが、後の独創的なマフラーへ結実する。
第18回:2冊の本デザインの原点になったカンディンスキー。印象派を超えた強烈な色彩の響きを求め、古びた芸術論に答えを探す。
第19回:色の合唱カンディンスキーが提唱した「色の合唱」。音楽と色彩を同質に捉える感性が、マフラーの響き合う配色を生んだ
第20回:和と洋カンディンスキーの多色世界に友禅染の記憶を重ね、和洋の美が融合。世界の広さを知り、表現の幅を広げた。
第21回:YEARLING60年続けた合唱で体感した「倍音」の美。その響きこそが、多色の糸を調和させる色彩設計の根源となった。
第22回:真っ赤なロングマフラーフィレンツェで目撃した、季節を先取る男たちの赤いマフラー。装飾品としての可能性に、美の窓が開いた。
第23回:買い漁るイタリアで「見せるマフラー」の楽しさに開眼。多色のミッソーニに圧倒されつつ、美の資料を買い集めた
第24回:森山亮さん恩人・森山氏の「脱下請け」の助言。言われた通りに作る日々から、自ら企画し販売する自立の道へ
第25回:世界一(「THE世界一展」に選出された。三菱レイヨンの新素材に独自の編みを施し、ついに下請けを超えた究極の品を創出。
第26回:指名買い一度は消えた傑作が「世界一」を機に復活。粗悪品を寄せ付けぬ本物の肌触りが、熱狂的な指名買いを呼んだ。
第27回:UNTHINK勉強会での「多い」という言葉が、半世紀の蓄積を繋いだ。四つの「多」を掲げ、独自ブランド誕生へ。
第28回:クリムト画家の色彩をマフラーに昇華させるため、模倣を捨て「クリムトを壊す」。直感の勝負で新たな調和を編み出す。
第29回:あなたの1本蓄積された一生分の美意識を、一編みのマフラーへ。苦悩の末に生まれる色彩の合唱が、誰かの冬を彩る。


