桐生の左官、海を越える 野村裕司さん  第16回 研究

左官という一芸に秀でよう。野村さんは暮らしのリズムを変えた。仕事が早く済んだ夕刻や休日はそれまで野村さんのリラックスタイムだった。仕事で疲れた身体を休めるため、テレビをボンヤリながめたり、町に遊びに出たり、ただ漫然と過ごしていた。
その時間を、左官という仕事の研究に使い始めた。

左官の仕事はまず材料に始まる。
モルタルはセメントと砂、水を混合する。では、セメント1に対して、砂、水の混合比はどの程度にしたら塗りやすく、仕上げがきれいで、耐久性がある仕上がりになるのか。
日本ではこれに混和剤を加える。塗りやすくするもの、コンクリートの防水性を高めるもの、ひび割れを防ぐもの……。混和剤と一口に言うが、種類は多い。そしてメーカーごとの違いもある。それをひとつひとつ、混合比を変えて作る。

漆喰は市販品を使う職人が多い。漆喰とは石灰、のり、そして麻の繊維の混合物で、市販品は3つの素材をメーカーが混ぜ合わせている。しかし、それが最高の混合比率とは限らない。野村さんは自分で最適な混合比を追求した。
最近の市販品は、植物繊維から抽出したメチルセルロースをのりとして使っているものが多い。だが、伝統的な漆喰は海草から取る角又(つのまた)のりを使っていた。よし、角又のりを配合したらどうなるだろう?
主原料の石灰にもいろいろな種類がある。石灰石を焼いたものが主流だが、貝殻を焼いて作ったものもある。その中でも最高級といわれるのが赤貝の貝殻を焼いた貝灰だ。福岡県柳川市が主産地で、石灰石から作る石灰の3倍〜5倍の価格がする。角又のりが少なくて済み、これで塗るとヒビが少なくなるらしい。
石灰石にしろ貝灰にしろ、焼く際の熱源でも違いが出る。重油で一気に焼くよりコークスでじっくり焼いた方が質の良い石灰になるのである。
そして、それぞれの素材を混ぜ合わせる比率も突き詰めなければならない。

あまり多くはないが、たまに土壁にして欲しいという施主もいる。竹を格子状に編んだ小舞(こまい)という下地に粘土を張り付けて下地を作り、仕上げに色土を2㎜ほどの厚さに塗る。色土とは錆色、赤、黒、白など色のついた粘土に藁や紙。麻などを細かく切った苆(すさ)を混ぜたものだ。
その色土で最高だといわれるのが聚楽土(じゅらくつち)である。豊臣秀吉が建てた聚楽第(じゅらくだい)の歩廊(門から建物の入口までの道)で偶然見つかり、江戸時代から使われ始めた。この土は聚楽第があった京都市上京区の近くでしか採れない。いまでは聚楽第跡にはビルが建ち並んでいるため、その建て替えなどで地面が現れた時、3mほど掘ってやっと採れる希少な土だ。高価である。
野村さんはこの聚楽土が欲しくなった。手に入れるため、わざわざ京都まで出かけ、聚楽土を販売しているただ1軒の建材店、「中内建材」で手に入れた。合わせて、聚楽土専用の鏝(こて)も買った。最高級品は30万円,40万円もしてさすがに手が出なかった。手にしたのは6万円ほどの「普及品」だった。

聚楽土の水こね鏝(左)と磨き鏝=漆喰などの磨き上げに使う

「この土、最高級の仕上げはのりを使わないんです。『水ごね仕上げ』といいます。のりを使わないから水に弱い。外回りに使えば、雨にあたればボロボロ崩れ落ちます。それを最高級というのは、日本人の独特な価値観ですよねえ」

もちろん、野村さんが研究した色土は聚楽土だけではない。桐生にはいい土がなく、赤城山の中腹で採れる赤土を使ってみた。ところが、なかなか固まってくれない。

「それなら、と石灰やセメントを混ぜてみました。色を良くするため顔料も使いました。はい、そんなことは誰もやったことがないようです。うまく固まっていい色になってくれましたが、これ、邪道かも知れませんね」

こうして様々に混合した材料は塗ってみなければ良し悪しが分からない。野村さんは60㎝×60㎝の石膏ボードやベニヤ板をたくさん用意し、混合が終わった材料を次から次へと塗り続けた。
そして、目についた専門書も読み始めた。いま書棚を埋める専門書は100冊を下らない。

「野村さん、あんたよく勉強してるね」

という声を聞くようになった。知識をひけらかしたことはない。だが、言葉の端々、仕事のどこかに自ずから顔を出すのだろう。
研究にますます身が入った。

写真=野村左官展の資材倉庫。野村さんの研究の場でもあった

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