小林さんには1つだけ期待があった。いや、当時はまだ「夢」といったほうが適切だろう。自動運転である。車が自分の知能、判断力、操縦力を備えたロボットになり、人の手を借りずに目的地まで走る。
「そんなタクシーがあったら、運転手の人手不足なんて問題じゃなくなるじゃないですか」
軍事目的で1920年代に始まった自動運転技術の開発は、コンピューターが高性能化し、自動運転に必要なセンサー類が次々に登場し始めた21世紀に入ると急速に進んだ。自動車メーカーだけでなく、GoogleなどIT企業も参入しての開発競争が繰り広げられ、町中での実験走行も世界各地で実施され始めた。
「自動運転の車が売り出さされたら、すぐにでも欲しいですよ。価格? そりゃあ最初は高いでしょう。でも、例えば1台5000万円だとします。それだけ見れば極めて高価ですが、運転手の年俸を500万円とすればその10年分です。車にはその程度は耐久性があるでしょうから、人件費との見合いだけでも買って損はありません。それに、事故の心配をしなくて済む、つまり保険に入る必要もないから、経営から見たらプラスです。量産段階に入れば価格は下がります。1500万円とか2000万円になれば、タクシー会社には必須のものになります」
だが、完成車はなかなか姿を見せない。だから「夢」だったのだ。
そんな「夢」持っていた小林さんの前に、まさしく夢のような話がやってきた。自動運転車の開発に協力し欲しいという群馬大学からの依頼が飛び込んだのである。
群馬大学は2016年、次世代モビリティ社会実装研究センターを設置して自動運転技術の開発に取り組み始めた。中核になったのは慶応大学の学生時代から自働運転の開発に取り組んできた小木津武樹准教授だった。話を聞くと、小木津准教授は、自動車メーカーやIT企業とはまったく違った角度からアプローチしていた。
車とは、運転手さえいれば世界中どこでも走ることができる。日本製の車はアメリカでも走るし、ドイツ製の車は日本でも走る。だから自動運転を開発している自動車メーカーやIT企業は世界中どこでも走ることができる自動運転システムの開発を目指した。人工知能に、人間と同じ、いや人間以上の知能、判断力を求めた。自動運転車がいまの車に置き換わるとすれば、それは当然の選択である。
だが、小木津准教授はどこでも走ることができる、という車の特性を切り捨てた。自動運転の車は地域限定でもいいじゃないか、と考えたのだ。例えば、まず桐生市内だけで自働運転ができればいい。それで足りなくなれば、隣のみどり市、太田市、伊勢崎市。前橋市といった具合に地域をつぎ足していく。いきなり100%を目指すのではなく、まず1から始めて徐々に100を目指せばいいという進め方だ。
小木津准教授が考えた自動運転車は、間違いなく走行するために三次元の地図を必要とする。その地図データを集めるには、車にビデオカメラを設置し、あらゆる道を走りながら周囲の風景を撮影し、それをコンピューターでデジタルデータにしなければならない。
それも、たった1回だけのデータ収集では不十分だ。町は時々刻々と姿を変える。朝と夕方と夜とでは見える景色が変わる。晴れているのか、雨や雪が降っているのかでも変わる。霧や台風も見える景色を変える。同じ桜の木でも、4月はじめに撮った映像では桜の花が満開だったが、花びらは間もなく散って葉桜の季節になる。秋になればすっかり葉が落ちて裸木に変身し、春を迎えれば新しい芽が出る。
変わり続ける周囲の景色をコンピューターがすべて記憶し、多少の変化は類推出来るようにならなければ、自働運転車は状況の応じた的確な判断を下すことができない。
小木津准教授が考える完全自動運転車を安全に走らせるには、少なくとも、それだけの三次元地図の蓄積が必要だった。
「そのデータ収集は私たち研究者だけではできません。そこでお願いです。桐生市内を走っている沼田屋さんのタクシーに、データ収集用の機器を搭載していただけないでしょうか? 三次元地図のデータ収集をお手伝いいただきたいのです」
それが小木津准教授からの依頼だった。
まだまだ遠いい夢だと思っていた自働運転車が、突然小林さんの庭に飛び込んできた。2016年の晩秋のことだった。
写真=JR前橋駅~県庁ルートを実証実験をした群馬大学の自動運転バス(群馬大学CRANTSのHPより)






