4回目のラオスで、1日だけ休みがあった。日曜日である。ビエンチャン観光でもしようかと思っていた野村さんは、生徒の1人から
「休みの日に申し訳ないが、一度建築現場を見てもらえないだろうか」
と誘われた。左官の仕事は野村さんの天職である。これまでも世界各地で左官の仕事を見てきた。だが、実際の作業現場を見たのは数少ない。ラオスという国で左官はどんな仕事ぶりを見せているのか。誘われなくても、機会があれば見てみたいという思いは強かった。二つ返事で誘いに乗った。
車でビエンチャン市内から40〜50分走った郊外だった。1軒家の建築が進んでおり、5,6人の職人が働いていた。たくさんのレンガが積み上げられ、家の形が出来かかっていた。
「ほう、ラオスでは日曜日も職人は働くのか」
そんな思いを抱えながら見物客に徹していた野村さんに声がかかった。
「ラオスの職人と競争してみませんか?」

野村さん(右端)は大先生である
同じ大きさの壁にモルタルを塗ってどちらが早いか競ってみないか、というのだ。野村さんはラオスでは「先生」だ。いや、ラオスの先生たちに日本の左官の技を教えに来たのだから「大先生」である。挑まれた勝負から逃げては「大先生」の名が廃る。
「分かりました。やってみましょう」
挑戦者として現れたのは50歳前後の女性だった。
「問題なく勝てる!」
ひょっとしたら、侮る気持ち御あったかも知れない。野村さんの頭には「敗北」の文字はかけらもなかった。
塗るのは、横270㎝、高さ180㎝ほどの壁である。快晴、気温は30℃ほど。
「じゃあ、始めて下さい」
左手に持ってモルタルを乗せる鏝(こて)受け台から右手の鏝でモルタルを掬い取った瞬間、何だかいやな感じがした。違うのである、日本のモルタルと。そういば、まだラオスでは混和剤を使っていないのだ。セメントと砂と水だけでできているのである。こんなモルタル、日本では使ったことがない。
塗り始めた。いやな感じは困惑に変わった。延びてくれない、モルタルが。鏝で壁に押しつけると、いくら鏝で延ばそうとしてもその場にとどまって動こうとしない。
「いや、これは……」
横を見ると、相手の女性は大変な勢いで塗り続けている。作業の進み具合は彼女の方がはるかに速い!
「いかん、これでは負けてしまう!!」
ラオスでは民家の建築でも飯場ができる。職人たちは家族全員でその飯場に移り住む。だから彼女の応援団は職人仲間だけではなかった。その家族たち、近所の住民までが彼女の応援団だった。野村さんの応援団は、同行した中央職業能力開発協会の職員1人だけである。アウェーでの勝負なのだ。
現地の応援団の声が耳に入る。現地語は分からないが、
「野村に負けるな! 日本人に負けるな!」
と声を張り上げているのだろう。
焦った。汗が噴き出して目に入ったのは、決して30℃の気温のせいだけではなかった。全身汗みずくになった。
——それで、勝敗はどうなりました?
「必死で追い上げたのですが、はい、負けてしまいました。ほんの少し、彼女の方が早く仕上げました」
——大先生が負けたのですか?
「当時のラオスは、仕上がりの美しさを求めていなかったんですよ。なにしろ、厚く塗ったモルタルを定規でなでて平面を出していたのです。だから、彼女が塗った壁は極端にいうと凹凸があちこちにあった。私のは日本流の真っ平らな壁です。その習慣の違いが私の敗因でした。負け惜しみかも知れませんが」
誰かが、
「やっぱり仕上がりが違うね」
といってくれた。確かに仕上がりは違った。だが、野村さんは
「負けた、負けた」
と清々しく笑い出したくなる気分だった。勝負には負けた。だが、日本とラオスの左官職人がそれぞれのお国柄を出しながらの対抗戦が、心から楽しかった。
写真=野村さんと競ったラオスの女性左官


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