桐生の左官、海を越える 野村裕司さん 第11回 逃避
昭和43年(1968年)も秋が深まった。野村さんは翌春、卒業である。 「高校を卒業したら上京して喜劇役者になる」 と思い定めていたはずだった。だから勉強などほとんどした記憶がない。頭の中は思いついたコントで満員状態だ。も...
昭和43年(1968年)も秋が深まった。野村さんは翌春、卒業である。 「高校を卒業したら上京して喜劇役者になる」 と思い定めていたはずだった。だから勉強などほとんどした記憶がない。頭の中は思いついたコントで満員状態だ。も...
野村さんの父・角尾さんは若くして独立、野村左官店を起こした。裕司さんは2男1女の長男である。だから、幼いころから 「僕は親のそばにいないとまずいよな」 とボンヤリと思っていた。孝行息子である。 ところが、家の仕事を継ぐ気...
思い返してみれば、何かとラオスとは縁があったようだ。 野村さんが東南アジア3カ国への左官技術伝道者になる数年前のことだ。埼玉県行田市のものつくり大学に東南アジア8カ国から左官技術の研修生を集めて講座が開かれたことがあった...