桐生の左官、海を越える 野村裕司さん  第20回 最高の職人の仕事 その1

「最高の職人」を目指す野村さんはどんな仕事をするのか。

何人もの左官が

「俺には出来ない」

と辞退した仕事を任されたのは2017年のことだ。現場は館林市。ある不動産経営者が、発明で資産をなした祖父から受け継いだ平屋建ての住宅の改築を思い立った。請け負ったのは前橋市の建築会社である。
ところが、難題が持ち上がった。漆喰で塗った壁である。施主は

「いまのこの色を再現して欲しい」

と強く求めた。その壁は陽が当たらないところにあり、幅90㎝、高さ60㎝ほどで、青みがかった黒、とでも表現するしかない色をしていた。その色をそのまま再現しろという。

建築会社はいつも使っている左官に任せた。壁が塗り上がった。その壁が

「何だ、この色は!」

と、施主の怒りを招いたのである。

「あれほど言ったじゃないか。どうしてこんな色に塗る?」

建築会社は震え上がった。この建築会社にとって、施主はマンション建築を継続的に発注してくれる大口顧客である。任された仕事ができなければ新しいマンションの建築を他社に取られるかも知れない……。
あわてて前橋市のほかの左官を現場に呼んだ。その左官は壁を見るなり、

「俺には出来ない」

と逃げ帰った。
新潟に腕のいい左官がいると聞いて問い合わせた。やんわりと断られた。断りながら、この左官店は情報をくれた。

「佐野市に漆喰メーカーがある。そこに相談してはどうか?」

その漆喰メーカーが推薦したのが野村さんである。社長を始め、長年の知り合いだった。

野村さんはどんな仕事も断らない。施主のあらゆる要望に応える。それが左官・野村の信条なのだ。
数人の左官が手に負えなかった現場に出かけ、問題の壁を見た。漆喰に松煙を混ぜ込んだ黒漆喰である。それが長い年月の間に黒が沈んで濃い鼠色になり、さらに青みが加わっていた。
一方、塗りの仕上げは並、と見えた。とすると、問題はこの色か。

「少し時間を下さい」

野村さんは、会社に戻ると色の再現に取り組んだ。あの壁は松煙を加えた黒漆喰だ。10日ほどかけて松煙の混合率を変えた20枚の色見本を作り、現場で施主と一緒に色合わせをした。

「全く違うじゃないか。ほかの左官を連れてこい!」

施主の怒声が飛んだ。

「申しわけありません」

野村さんは深々と頭を下げた。下げながら心に誓った。

(この仕事ができなければ1人前の左官ではない。見てろ、絶対にこの色を出してやる!)

松煙だけではあの色は出ないらしい。であれば紺色の顔料を加えてみよう。1g単位で混合率を変え、A4版ほどの大きさの色見本を150枚ほど作った。見本はない。写真は微妙に色が変わるから使えないのだ。現場で頭に刻み込ませた「色」だけが頼りである。

1ヵ月半ほどかかって仕上げると現場通いが始まった。1度に持参する色見本は20枚ほどである。

「ほら見ろ、この左官には出来ないんだ!」

「何度来ても一緒だ。左官を変えろ!」

行く度に怒声を浴びた。

「ん?」

と施主の表情が変わったのは5回目の訪問だった。

「似てるな」

野村さんの目にもそう見えた。

「悪いが、色見本の角度を少し変えてもらえませんか?」

色は光の当たり具合で微妙に表情を変える。色見本を壁に押し当てていた建築会社の社員が野村さんの指示に従った。

「あ、この色だ。これだ、これでやってくれ!」

施主のゴーサインが、やっと出た。そこまでやって、施工費は20万円。

「それまではずいぶん叱られましたが、最後は『よくできた、よく出来た!』って大変喜んでいただきました。気に入っていただけたのでしょう、それからは門に連なる外壁を『あんたに任せる』と塗らせていただいたり、塀の補修の仕事をいただいたり、可愛がってもらいました。はい、外壁は土佐漆喰の磨き仕上げでやらせてもらいました」

野村さんは「1人前の左官」なのである。

写真=野村さんが作った色見本の一部

コメントする

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です