1982年10月、東京・市ヶ谷の日本左官業組合連合会本部ビルで第20回全国左官技能競技大会が開かれた。期間は2日間である。日本一の座を競う出場者は27人。その中の1人が野村さんである。
会場に着くと、競技会場である屋上で審査員が道具を点検した。持って来た鏝(こて)や石膏の置き引きに使う型、鑿(のみ)などなどを競技台に並べ、順番を待った。点検は出場者ひとりずつ順番に行われ、次が野村さんの番だった。その時、
「開会式が始まります。全員式場に入って下さい」
と声がかかった。審査員を含め、出場者全員が階下に降りた。まだ点検を受けていない野村さんは道具を出しっぱなしにして開会式場に向かった。
式が終わり、屋上に戻った。さあこれから点検を受けなければならない。
ところが、今度は
「競技大会を始めます。直ちに屋上に向かって下さい」
のアナウンス。えっ、私はまだ点検を受けていないのだが、いいのかな? だが、競技台に道具を出しっぱなしでは作業が出来ない。屋上に戻りあわてて道具を仕舞い始めた。その時である。
「競技が始まった今ごろ道具を仕舞う奴があるか!」
怒声を浴びせられた。顔を上げると大会実行委員長である。
「何を言ってるんだ。道具の点検が済まないうちに開会式が始まったから出しっぱなしにしていたんじゃないか。そちらの不手際だろ!?」
カッとした。カッとしたまま道具を取りまとめて作業を始めた。後で思えば、あれがケチのつき始めだった。
最初に取り掛かったのは石膏の置き引きである。モールディングを10本ほど曳かねばならない。石膏を水で溶き始めた。あれ、おかしいな? 練習では30分ほどで固まっていたのに、今日はなかなか固まってくれないぞ? どうしたんだ?
焦りが生まれた。固まる直前に型で曳かねばならないのだが、そのタイミングがつかめない。とりあえず1本曳いてみた。ダメだ。これじゃあ使いものにならない。焦りが増した。2本目、3本目……。
「何とか制限時間中に10本は曳けたのですが、仕上がりは『何とか形にした』という程度で……」

石膏を溶く水の温度が違っていたことに気が付いたのは大会が終わったあとである。桐生では井戸水で石膏を溶いていた。ところが大会で使ったのは水道水だった。井戸水は1年中16℃〜18℃で安定している。ところが10月の東京の水道水はずっと水温が低かった。そのため石膏が固まりにくかったのだ。
済んだことを悔やんでも仕方がない。3面の壁を塗り、天井と壁の突き合わせに不出来な石膏のモールディングを取り付けた。モールディングの継ぎ目に石膏を塗り込む。あれほど固まりにくかった石膏だから、塗り込んだ石膏が固まるのに時間がかかるはずだと考えてほかの仕事をし、さて余分な石膏を掻き取ろうと向き合ってみると、今度は石膏が完全に固まっていた。完全に固まる直前、まだ柔らかいうちに余分な石膏を筆や鉄板で掻き取るからきれいに仕上がるのだが、こんなにカチカチになっては掻き取れない。やむなく、鑿(のみ)で削り落とした。ここでもタイミングが取れなかったのである。
「ええ、モールディングについては散々でした。自己採点でも100点満点でせいぜい70点。あー、こりゃあいかんな、と」
2日間の競技が終わり、優勝杯を手にしたのは東京代表の左官職人だった。モールディングで大失敗した野村さんは、それでも3位。
「群馬県の1級検定でも3位、全国競技大会でも3位。なんだか『3』という数字に魅入られたようで……」
あの年優勝した東京の左官職人の悪評が思わぬところから伝わってきたのは10年ほど後である。彼が取り仕切った群馬県庁昭和庁舎の補修工事の評判が最悪だったのだ。塗った壁にヒビが入った。それではと補修工事を任せたら、モルタルに混ぜる調整剤の選択を間違ったらしく、壁面に雨に含まれるよごれが染みついてしまったのだ。シミだらけの昭和庁舎の壁。県庁にクレームが殺到したらしい。
「ああ、そうか、と思ったのです。競技大会では特殊な技能が求められます。そこで優勝するということは、例えてみれば受験秀才のトップになるということでしょう。しかし、受験に必須の知識が世の中の役に立つとは限りません。だったら私は受験問題を誰よりも上手く解ける左官ではなく、本当にお施主さんのお役に立てる左官になろうと思ったのです」
いや、そんなことを考えながら、実はもう一度全国大会に挑んでみようか、という思いもあった。しかし、そのためにはまた少なくとも3ヵ月、現場に出ずに「受験勉強」をしなければならない。
「大会が終わると、親父が『現場はお前に任せるからな』といいました。身体も弱ってきたみたいで、あ、それじゃあ私が受験勉強をするゆとりはないな、と」
夢は果たせなかった野村さんだが、全国大会に出てひとつだけいいことがあった。
「あの3ヵ月の準備、2日間の競技に比べる、現場の仕事がすごく楽なんですよ!」
思ってもみなかった余録だった。
写真=第20回全国左官技能競技大会。野村さんは右から2人目