小山さんが手ぬぐいをデザインし始めたのは「第2回 ドラえもん」で書いたように2015年ごろのことである。下請け仕事に嫌気が差し、ふらりと出た東京・浅草の手ぬぐい専門店で見た、似たり寄ったりのデザイン手ぬぐいがきっかけだった。
「自分で欲しくなるような手ぬぐいを自分でデザインしてみよう」
そうして染め始めた「桐生てぬぐい」がいつか、「平賢」の経営を支えるまでに育ったのはすでに書いた通りである。
だが、小山さんはデザインの才能が自分にあるとは、一度も思ったことがなかった。たまたま「桐生手ぬぐい」はそこそこ売れているが、あれは物珍しさからではないか? 私にお金を取れるほどのデザインなんてできっこないじゃないか。
ところが、
「デザインしてください」
という注文が少しずつやって来るようになった。
記憶を辿れば、始まりは桐生市を中心に障害者芸術支援活動をしている「あめんぼプロジェクト」からの依頼だった。2018年のことである。
「障害を持っている人たちの絵を手ぬぐいにして販売したい。そのまま捺染することは無理でしょうから、小山さんが手ぬぐい用にデザインし直して捺染で手ぬぐいを作ってくれませんか」
えっ、デザインし直すのが私でいいんですか? 私はデザイナーではないのですが。
それでも小山さんにやって欲しいという。引き受けて10種類ぐらいの手ぬぐいを作った。「あめんぼプロジェクト」は各種のイベントでその手ぬぐいを販売した。
「結構売れたんですよ」
その手ぬぐいに注目した大組織があった。日本生活協同組合連合会である。そのキャロット事業部が6種類の手ぬぐいを、組合員に配る「つ•な•ご」というカタログに掲載し、4回にわたって全国に配布した。完売するものが多く、「あめんぼプロジェクト」には
「欲しかったのに、注文したら売り切れだといわれた」
という「苦情」が何件も寄せられたそうだ。
もっともこの時、小山さんはデザイン料を請求していない。捺染で染めた手ぬぐいを納品しただけである。私のデザインで金が取れるはずはない。それが当時の小山さんの自己評価だった。
ところがコロナ禍があけた頃からデザインの依頼が次々と舞い込むようになる。小山デザインによる手ぬぐいの注文は、まあ、「平賢」の本業ともいえる。暖簾、幟旗もそうだろう。しかし、ラーメン屋の看板のデザイン、ポップ広告のデザインとなると、捺染業からは遠い。そもそも、そんなものは捺染できない。
小山さんは戸惑った。
「本当に私でいいんですか?」
そう断りながら仕事を引き受け始めた。そしておずおずとデザイン料を請求し始めた。基本料金はわずか3万円である。
「私のデザインで5万円もいただけるはずがない」
としか思えなかったのだ。だが、それでもデザインの注文が来る。
「それで、しばらくしてから、基本料は3万円だけど、サイズや図柄によっては5万円、10万円いただくようにしました」
2000年12月に放送を始めたあるBS局が、局のシンボルとなるロゴを発注した。「BS○○」という簡単なロゴのデザイン料は700万円だった。筆者がこの耳で聞いたことである。それに比べて、3万円、10万円の何とかわいらしいことか。しかし、それでも小山さんは、デザインでお金をいただく「プロ」のデザイナーになったのである。
その「プロ」の腕前を試す第1弾が、「群馬県ふるさと伝統工芸品展」だった。そして、「たかが手ぬぐい」が、1本5万円で2本とも売れた。
「平賢」は、小山さんは大きく変わり始めた。
写真=小山さんが「あめんぼプロジェクト」の依頼で染めた手ぬぐい
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