桐生の左官、海を越える 野村裕司さん 第18回 そして、3位
1982年10月、東京・市ヶ谷の日本左官業組合連合会本部ビルで第20回全国左官技能競技大会が開かれた。期間は2日間である。日本一の座を競う出場者は27人。その中の1人が野村さんである。 会場に着くと、競技会場である屋上で...
1982年10月、東京・市ヶ谷の日本左官業組合連合会本部ビルで第20回全国左官技能競技大会が開かれた。期間は2日間である。日本一の座を競う出場者は27人。その中の1人が野村さんである。 会場に着くと、競技会場である屋上で...
全国左官業組合連合会が実施する全国左官技能競技大会に野村さんが出たのは1982年のことである。当時32歳。文字通り、左官の日本一を決める大会だ。 「はい、日本一を目指しました」 大会参加資格は、都道府県ごとに行われる左官...
左官という一芸に秀でよう。野村さんは暮らしのリズムを変えた。仕事が早く済んだ夕刻や休日はそれまで野村さんのリラックスタイムだった。仕事で疲れた身体を休めるため、テレビをボンヤリながめたり、町に遊びに出たり、ただ漫然と過ご...
付き合いが始まった小林段ボールの住宅建築部門には、当時左官店が3社入っていた。時を追って野村左官店が受ける仕事の比率が増えた。小林社長は、基本を忠実に守る野村左官店の仕事ぶりを気に入ってくれたようである。 「おい、野村君...
左官という仕事に身が入り始めた。評判のいい左官だった父・角尾さんの技を盗み始めた。角尾さんは何も教えてくれなかったのだ。盗んだ技は建ちかかった家の押し入れの壁塗りで試した。ここなら多少失敗しても目立たないからである。 セ...