ヒト

ヒト

桐生の左官、海を越える 野村裕司さん
第13回 交通事故

やっと鏝(こて)を握らせてもらったのは1年ほど下働きを続けてからだった。といっても、左官の技の華である仕上げ塗りなどさせてもらえるはずもない。工事が終われば見えなくなる下塗りが野村さんに与えられた仕事だった。砂ふるい、材料の攪拌に比べれば多...
ヒト

桐生の左官、海を越える 野村裕司さん
第12回 イヤでイヤでたまらない仕事

父・角尾さんは自動車の運転免許を持っていなかった。高校2年、16歳で軽自動車の免許を取った野村さんは、その頃から家の仕事を手伝ってはいた。学校が休みの日、軽トラックに左官仕事や道具を乗せ、現場まで運ぶのである。だが、それ以上の手伝いはしなか...
ヒト

桐生の左官、海を越える 野村裕司さん
第11回 逃避

昭和43年(1968年)も秋が深まった。野村さんは翌春、卒業である。「高校を卒業したら上京して喜劇役者になる」と思い定めていたはずだった。だから勉強などほとんどした記憶がない。頭の中は思いついたコントで満員状態だ。もちろん、成績は低空飛行で...
ヒト

桐生の左官、海を越える 野村裕司さん
第10回 堺駿二

野村さんの父・角尾さんは若くして独立、野村左官店を起こした。裕司さんは2男1女の長男である。だから、幼いころから「僕は親のそばにいないとまずいよな」とボンヤリと思っていた。孝行息子である。ところが、家の仕事を継ぐ気はなかった。角尾さんは野村...
ヒト

桐生の左官、海を越える 野村裕司さん
第9回 思い出のラオス

思い返してみれば、何かとラオスとは縁があったようだ。野村さんが東南アジア3カ国への左官技術伝道者になる数年前のことだ。埼玉県行田市のものつくり大学に東南アジア8カ国から左官技術の研修生を集めて講座が開かれたことがあった。左官職技能検定員だっ...