FREE RIDE ライダーは桐生を目指す その15  無理難題

二渡さんは桐生市内の十数の工場に仕事を出している。そのうちいくつかの工場に案内してもらった。

「いやあ、酷い人ですよ」

にこやかに出迎えながら、開口一番、そういったのは刺繍工場の職人さんである。

ここでは、二渡さんが起こしたロゴや図案を、まず高齢の職人さんが横振りミシンで縫う。最初からコンピューターでデザインすると、綺麗だが味も素っ気もないものになるというのが二渡さんのこだわりだ。

酷い人——それは恐らく、二渡さんの仕事への厳しさにある。手仕事でできた刺繍にOKが出るとコンピューターにプログラムして量産に移るのだが、ここでも二渡さんのダメ出しが続く。

まず冒頭の写真を見ていただこう。
私の目には、どちらも同じ刺繍でできたタグにしか見えない。最初の仕上がりは右のタグだった。だが、これではダメなのだ。

「文字に毛羽が目立つし、骨の質感も出てない。もう少し追い込んで」

何度もプログラムを調整する。

「これ、糸が詰まりすぎている。もう少しまばらにして」

「これじゃあまばらになりすぎ」

「ラインがシャープすぎる。いかにも機械生産、って感じじゃ困る。もう少し、自然な乱れが入るように」

そのたびにプログラムを調整する。何度も続いたダメ出しの結果できたのが左の完成品だ。

 

この髑髏の刺繍も上の2つを含む複数の過程を辿って写真下の完成品にたどり着いた。
確かに、こうして並べてみれば骨と頭蓋骨の質感は完成品の方が上だと、私のような素人の目にも分かる。しかし、上の二つでも十分商品になるのではないか? そこまで目が利く客はほとんどいないと思うが……。

「お客様を馬鹿にしてはいけません。他では手に入らない最高のものを求めて桐生まで来ていただけるのです。その思いに全力でお答えするのが私の仕事なんです」

二渡さんの辞書には「妥協」という言葉は掲載されていないらしい。

FREE RIDE ライダーは桐生を目指す その16  手間3倍

その足で桐生市内のプリント工場に回った。

新しいデザインのプリントを発注すると二渡さんは必ず工場に足を運び、チェック、というより工場の一員になってプリントを産み出す。
例えばTシャツへのプリント。

「出来上がりは同じように見えるかも知れませんが、白地に黒のプリントと黒地に白のプリントは、同じプリントといいながら実は違うんですよ」

白地に黒インクを乗せるのなら1回のプリントで済むことが多い。しかし、黒地に白でプリントしても

「白地に黒と同じ質感にしなければならない」

と考えるのが二渡流である。
1度のプリントでは白が生地の黒に負ける。だから2度、3度とプリントを重ねる。だが、重ねても狙った白が出ないと

「インクを変えてみようよ」

といいだす。他のインクでも狙い通りにならないと、インクの調合が始まる。

「この白に少し黄色を混ぜてみたらどうだろう?」

満足できる「黒地に白」のプリントができるまで試行錯誤が続く。熱意と根気の要る仕事だ。しかも、同じTシャツでも素材が変われば、ピッタリするプリント法もインクも変わってしまう。そのたびに、ゼロに戻って同じ試行錯誤の繰り返しである。

FREE RIDE ライダーは桐生を目指す その17  桐生を使おうよ!

ジャケットの縫製を頼んでいるのは、最初に「RIDERS N-3B」を一緒に作った縫製工場である。あれ以来、付き合いがずっと続いている。
工場の中に入ると、販売店の店頭では1着15万円、20万円の値札がつく高級ジャケット、ジャンパーが所狭しとぶら下がっている。全国の高級衣料専門のメーカがこぞって門を叩く縫製工場なのである。

ここでも二渡さんは職人さん泣かせである。

前に書いたが、「RIDERS N-3B」の袖の内部には、リブ織りのインナーとムートンが縫い付けてある。ジャケットの袖もリブ織りのインナーも、どちらも筒型である。筒型の袖の内側に、筒になったインナーをミシンで縫い付ける。筒に筒をミシンで縫い付ける。

「手縫いならできるだろう。でも、いったいどうやってミシンの針の下をくぐらせるのだろう?」

その作業は著者の想像力をはるかに超える。
それだけではない。ムートンは羊の毛皮である。毛の部分を同じ長さに切りそろえ、狙った色に染め上がったムートンのシートがこの工場に届くと、リボン状に切り離して袖口に縫い付ける作業が始まる。
そもそも毛皮は分厚いから針が折れやすく、ミシン泣かせである。それを筒状の袖の内側に縫い付ける……。頼まれた社長でなくても

「こんなパターンじゃ縫えねえよ!」

と泣き言の一つもいいたくなるはずだ。

「それにね、ジャケットにはどうしても部分的に力がかかるところがあって、その部分の縫い目が裂けやすいんです。うちのものは『一生もの』ですからその部分は何度も糸を通して強化してありますが、これも面倒な作業らしいんですよ」

FREE RIDE ライダーは桐生を目指す その18 旅

二渡さんはフラリと旅に出る。愛用のバイクにまたがっての一人旅である。週末や連休は店が忙しい。ふらり旅は、だからいつも平日である。一緒に店を切り盛りする妻のさやかさんに

「ちょっと行ってくる」

と言い残して出る旅は、シーズンオフの旅でもある。少なくとも年に3回。1回あたり1週間ほどかけて日本国中を走る。

目的地は定めない。

「何となく、東北の方に行ってみようか、今回は信州方面か、程度ですね」

地図は持たない。ナビもない。

「目的地がないから無用の長物でしょ?」

原則として一般道を走る。

「高速道路って、目的地があって、そこにできるだけ早くたどり着きたいから使うんですよね。私、どちらもありませんから」

愛車のエンジン音、顔をなでて通り過ぎる風のちょっと手荒い愛撫、初めて見る沿道の景色。バイクならではの楽しみは沢山ある。やっぱりバイクはコンクリートジャングルには似合わない。バイクは山と川のある背景に溶け込む。

だが、二渡さんのバイク旅の楽しみはそれだけではない。

「私、人、が好きなんです。初めて出会う人に『こんにちは』って挨拶をして、四方山話をして。日本中にこんなに人がいるんですもん。1人でも多くの人に会って話してみたいじゃないですか」

食事をするために入った定食屋で。燃料を補給するガソリンスタンドで。

「どこから来なさった?」

「桐生ですけど」

「桐生? 聞いたような気がするけど、栃木県?」

「いや、群馬県ですよ。織物で知られてるって思ってたんですけど。ところで、このあたりで一度は見ておいた方がいい、なんていうのはありますか?」

「ああ、それなら○○を見ていきなさいよ」

「どう行ったらいいの?」

「この道をまっすぐ行って……」

FREE RIDE ライダーは桐生を目指す その19 FREEDOM

ここまで書き継いで、筆者は1本の映画を思い出した。「世界最速のインディアン」。2005年に公開されたニュージーランド・アメリカの合作映画だ。日本では2007年に初上映された。
ニュージーランドのバイクライダーで1000cc以下のオートバイの地上最速記録保持者、故バート・マンローさんの実話をもとにした映画である。主役のバートさんをアンソニー・ホプキンスが演じ、夢に邁進する初老の男を観客の目に焼き付けた。監督はニュージーランドのロジャー・ドナルドソン。

バートさんの憧れの地は、アメリカユタ州ボンネビルのソルトフラッツである。塩湖のあとにできた平原で、毎年8月、地上最速を競う「スピードウイーク」が開かれる。改造に改造を重ねた1920年製のインディアン・スカウトをここで疾走させ、風を超えたい。

60歳をすでに超したバートさんは年金暮らしである。ボンネビル遠征の費用を2000ドルと見積もって貯金はしているが、まだ1275ドルしかない。あと何年かかるか。
そんな折も折、狭心症が見つかる。医者はバイクを諦めろと言った。バートさんは

「今年しかない!」

と心を決めた。家屋敷を担保にして金を借り、ボンネビルに旅立つ。

夢を持つ男は7歳児の心を持つ。片田舎からやって来た7歳児の目に映るアメリカの姿はこの映画の楽しみどころでもあるが、圧巻は世界記録への挑戦だ。

風の抵抗をギリギリまで減らすため、改造インディアン・スカウトには足を排気管に押しつける不自由な姿勢で乗らねばならない。長時間走れば排気管が焼け、足が焼ける。では、とアスベストの布を足に巻くが、それでは車体に入らない。

「ままよ!」

とアスベストを放り出したバートさんは、走る。

1マイル地点:255.317km/h
2マイル地点:270.242km/h
3マイル地点:275.794km/h
4マイル地点:277.587km/h
5マイル地点:295.626km/h

足の皮膚が焦げ始めた。