糊付け 星野サイジングの1

【サイジング】
織ったり編んだりする前の糸に糊を付けること。絹糸をサイジングすることはあまりないが、繊維が短い綿糸や麻糸はサイジングしないと少し引っ張れば切れてしまう。またレーヨンやポリエステル、ナイロン、アセテートなども撚らずに束ねられているだけのものはサイジングをしないと、織る、編む過程で繊維が切れて生地に傷ができやすい。
近年はサイジングをしなくても織ったり編んだりできる糸をメーカーが作っており、需要は減りつつある。

【桐生一のサイジングを】
創業した星野治郎さんは群馬県山田郡大間々町(現みどり市大間々町)の生まれである。父が続けていた木こり、炭焼きなどの山仕事に見切りを付けて1949年、中学を卒業すると

「桐生で機屋になる」

とひとりで桐生に出て機屋に勤め始めた。
だが、丁稚奉公にもにた過酷な職場に長くはいられなかった。習い覚えた技を活かそうと61年、月賦で織機を2台購入して独立、賃機を始めた。大手機屋の注文で布を織り、工賃を受け取る仕事である。
しかし、新しく始めた仕事にも満足できなかった。工賃を決めるのは注文主の機屋。しかも、工賃は情けないほど安く、織機を4台に増やして目が回るほど仕事をしても暮らしが立つ見通しが持てない。

「こちらが工賃を決められる仕事をしたい」

実現できれば、自分の腕さえ磨けばほかより高い工賃が取れて生活は安定する。こうして選び取ったのが、義兄がやっていたサイジングだった。2年後のことである。サイジング機を4台購入し、桐生市境野町四丁目で創業した。

ガラパゴスの逆襲 坂井レースの3

【細い糸】
2017年、帝人が新しい遮熱糸を開発した。それまでは50本のファイバーをたばねて1本の糸にしていたが、新しい糸は144本のファイバーを束ねている。しかも、束ねた糸の太さは、それでも新しいとの方が細いのである。つまり1本のファイバーの太さはそれまでの3分の1ということだ。

早速新しい糸で試作を始めた。最初は気楽に考えた。慣れ親しんだ仕事である。この糸でもすぐに編めるはずだ。
まったく新しい世界に足を踏み込んだことに気がつくまでに時間はかからなかった。
ポリエステルに特殊な酸化チタンを練り込んでいるのは同じである。ところが、新しい糸は想像以上に細かった。

(糸簡のキャップはツルツルに磨き上げてある)

「編んでいるとファイバーが切れるんです。ファイバーが本当に細いから、糸を巻いている糸簡や編み機の糸の通り道に手で触っても分からないぐらいの出っ張りがあると、数本切れて編み傷ができ、商品にならない」

糸簡の糸が触れる分を微細なサンドペーパーで磨いた。編み機の糸の通り道をすべて点検した。編み機にかける糸のテンションを調整した。編み針の出し方も様々にいじった。

「編み機を調整して6、7m編んでみる。傷がないか点検し、傷があればまた調整する。6、7m編むのに1時間ぐらいかかります。1日の仕事を終えて編み機の調整に入り、気がついたら朝日が昇り始めていた、なんてしょっちゅうでした」

気をつけなければならないのは編み傷だけではない。編むとき糸のテンションを強くしすぎると出来上がったレースは薄っぺらくなり、使った糸の量も減るので充分な遮熱性能が出ない。かといってテンションを緩めれば、もとがファンバーを束ねただけの糸だから仕上がりが毛羽だったようになる。これも避けねばならない。

「編んで、性能試験に出して、結局商品になるまで1年かかりました」

思わぬ副産物があった。これまでの遮熱効果に加えて断熱効果も生まれたのだ。糸が細い分、ファイバーの間に貯め込む空気の量が増えたためらしい。断熱率は38.1%。冬場には室内の暖気を逃がさないレースカーテンの誕生である。

そしていま、1本の糸を構成するファイバー数は2倍の288本になった。遮熱率71%。坂井レースは前人未踏の野を進み続けている。

ガラパゴスの逆襲 坂井レースの2

【カタログハウス】
窮すれば通ず。ずっと取引がある帝人が、旭化成のあとを受けて遮熱糸の生産を始めた。これで糸の心配はなくなった。
間もなく、通販生活で知られるカタログハウスから

貴社の遮熱カーテンをうちで売りたい」

と声がかかった。坂井レースの遮熱カーテンは群馬県の「一社一技術」に選ばれ、県のホームページに掲載されていた。それを見たのだという。
カタログハウスは当時、片面にステンレスを蒸着した遮熱カーテンを売っていた。光を遮るので室内は暗くなるが遮熱率は55%あり、冷房効率が上がるためそれなりの需要があった。

「当社で販売するには、遮熱率はこれを上回っていただきたい」

それが条件だった。

カタログハウスは通販の王者といわれる。売り上げは決して首位ではないが、独特の販売方法、消費者満足度はあらゆる通販会社が羨ましがる。その評価を支えるのは独自の商品選択眼で、メーカーが

「うちの製品をラインアップに加えていただきたい」

と日参してもなかなか採用されないことで知られる。そんな会社からの異例の申し出である。断るいわれはない。

カタログハウスは国内での販売権を独占する手法を採る。つまりカタログハウスでの販売が始まれば、坂井レースはほかの流通経路では売ることができず、帝人も坂井レース以外のカーテンメーカーへの糸の販売を制限される。
そんな制約はあるが、チャンスであることは確かだ。坂井さんも帝人も、この条件を呑んだ。坂井レースの遮熱カーテンは遮熱率で既存商品を上回るだけではなく、透光性があって部屋を暗くしないのである。売れないはずがない。

販売が始まったのは2011年。カタログハウスの計測では、坂井レースの遮熱カーテンの遮熱率は64%。既存商品を完全に上回っていた。だからだろう。文字通り、羽が生えたように売れた。坂井さんは増産に次ぐ増産に追われた。

ガラパゴスの逆襲 坂井レースの1

[レース]
編み物。経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を組み合わせて作る織物に対して、編み物はループ状にした糸同士を絡ませながら布に仕上げる。縦横に延び縮みし、カーテンや靴下、マフラー、衣服などに使われる。
坂井レースはレースカーテンの専業メーカーである。オーダーカーテン、既製品のカーテンと幅広く作っているが、いまの主力は窓から入る太陽熱を跳ね返す遮熱カーテンである。開発で先陣を切っただけでなく、改良を繰り返して遮熱率を上げ、当初の60%をいまは71%まで高めた。後を追おうとする後発メーカーもあったが、矢継ぎ早に性能を上げる坂井レースについてくることができず、次々と撤退した。坂井レースはいま、ワン・アンド・オンリーの遮熱カーテンメーカーである。

[カーテン需要]
レースのカーテンは住宅の必需品ともいえる。だが、一度買ってしまえば8年から10年はもつ。そろそろ買い換えようかと客が考え始めるまでかなり時間がかかる商品だ。だから、カーテンの需要は住宅着工戸数に左右される。
戦争が残した荒廃から急スピードで立ち直りを見せた戦後日本で住宅建設はほぼ一貫して伸び続け、1973年には190万5112戸にまで増えた、高度成長の終焉で驚異的な伸びが一服したあとは景気の波にも左右されながら高い水準での上下を繰り返してきたが、リーマン・ショック直後の2009年、前年を30万戸も割り込む78万8410戸に急落した。一時的な落ち込みという見方もあったが、その後は100万戸を回復することはなく、2019年は90万5123戸。国内で人口が減り始めたこともあり、これから住宅着工数が増えるのは望み薄である。
その上、ほかの繊維産業と同じ構造変化にも見舞われた。カーテン販売の中心であるDIY店が安さを追い求め、中国、ベトナム産のカーテンを並べるようになった。国内のカーテンメーカーは利益率を落として対応しようとしたが、中国、ベトナムの人件費の安さには対抗しきれず苦境に陥った。
坂井勝さんが社長を引き継いだ2004年、業界はそんな二重苦の入り口に立っていた。

糸を創る 泉織物の3

【染める】
繊維産地桐生は多品種少量生産を支える細かな分業制が特徴だ。その中で泉織物は一貫生産を指向する機屋であり続けた。できることは自分でやってコストを減らす、のではない。理想の和服を産み出すためには例え一部といえども人任せにできない、と考えるからだ。

(これも絞り染めの準備作業。一度染めた布地をロープに巻き、糸でとめる)

染色には2つのアプローチがある。糸の段階で染めるのを先染めという。布に織り上げた後で染めるのが後染めだ。泉織物はどちらも自家薬籠中のものにしてきた。先染めした糸で織り、織り上がった生地を今度は絞り染めする。糸や木などで染めたくないところを締め上げて染料が入らないようにして染める。これを何回か繰り返す。そのたびに柄は複雑になり、艶やかさを増す。父の代から、ほかにない着物を産み出そうと絞り染めに力を入れてきた。

泉さんが

「染色をもっと極めなければ」

と考えたのは、京都の問屋を見返せるほどの白生地が織れるようになってからだった。糸から創る泉さんの白生地はほかと比べて高価だったが、京都や沖縄で独特の和服を作り続ける作家と呼ばれる人たちの感性を虜にした。あまりの評判にほかの機屋も何とか同じ生地を織ろうとしたが、糸から手がける泉さんに追いすがる機屋は、今のところ現れていない。
そこまでは狙い通りなのだが、困ったことが持ち上がった。時折

「生地が悪いから染めがうまく行かない」

とクレームを付けてくる染め屋さんが現れたのだ。作家さんに頼まれて引き受けたがうまく染まらないという。
そんなはずはない。染め上がりも頭に入れて糸を創り、織り上げているのである。その生地がうまく染まらないわけはないのだ。
ところが、反論ができない。泉織物が代々受け継ぐ染色の手法は頭に入っているが、作家さんは独特の染め方をする。生地が原因ではないと説得するには、染色についての深い知識が要る。
加えて、泉さんはほかではできない絹織物を織るようになっていた。見た目を司る絹糸、着心地を司る絹糸、風合いを司る絹糸など数種類の糸を、使う目的によって最適になるよう組み合わせた生地には、それに適した、これまでにはなかった染め方があるはずだ。

泉織物の染めはすべて手染めである。染料にはそれぞれ発色温度があり、40℃、50℃、70℃などそれぞれ違う。だが、手を染料に突っ込めるのはせいぜい50℃が限度。70℃の染料を使う場合は感頼りにならざるを得ない。
こうして泉さんは、自分が創り出した糸、生地に合わせた染め方を1つずつ開発してきた。

糸を絞る素材も研究課題だ。それぞれの着物に合った最適な風合いが出せるものはないか?

「インターネットってありがたいですよ。検索するといろんな材料が見つかる。ロープも沢山ありますし、ビニール製、ゴム製のチューブもよりどりみどり。これ使えないかな、と思うと、誰も見たことがない染め上がりを頭の中で描きながらポッチンしちゃいます」

泉さんはまだまだ発展途上人である。