そして2026年1月14日。高崎高島屋の群馬展が幕を開けた。食品60店舗、工芸品15店舗の計75店舗が出店した。工芸品15店舗のうち、3分の1の5店舗は桐生の企業で、すべて繊維関係だ。「織都桐生」は健在である。そしてその1社が「平賢」だった。
今回も店頭に立ったのは
「1本10万円の手ぬぐいを出しなさいよ」
と強硬に背中を押した義妹、平田昌代さんだった。その昌代さんに聞いてみた。
――手ぬぐいですよ。1本10万円も出して買う客がいると、あなたは本当に確信していたのですか?
返答は明瞭だった。
「自信がなければ哲平さんに勧めたりはしません。哲平さんがデザインした手ぬぐいなら、それでも安いという確信があったから、そういったのです」
高崎高島屋の開店は午前10時。それから数分すると、群馬展のフロアに客が姿を見せた。昌代さんの記憶によると、それから10分ほど経ったころだ。裕福そうな高齢の夫妻が「平賢」の前で足を止めた。展示している手ぬぐいに関心を引かれたらしい。
「こちらは一点ものになっています。いかがですか?」
昌代さんは10万円、5万円、3万円の4本を取り上げ、2人に差し出した。何だか2人の目の色が変わったような気がした。
「いいね、これ」
「じゃあ、これをもらおうか」
2人は10万円のてぬぐい「而今」を手に取ると、何事もなかったかのようにレジに向かった。
まず、10万円が売れた。昌代さんの確信は間違っていなかった。
それからはあれよあれよという間だった。30分もすると「風伯雷公」が売れた。お昼になる前に3万円が1本売れた。残った一点ものも午後2時前には店頭から消えた。
それだけではない。昌代さんは午前中、問い合わせの電話に振り回された。
「『而今』が欲しいんだけど、今から行って間に合いますか? できたら取り置きしてもらいたいんですが」
「私は『風伯雷公』をどうしても手に入れたいんです。何とかなりませんか?」
小山さんは群馬展が始まる数日前、SNSで4枚の一品ものを出展すると発信していた。それを見た人たちからの問い合わせらしい。
しかし、優先すべきは店頭に来てくれた客である。それに、「而今」も「風伯雷公」も瞬く間に売れてしまった。
「申し訳ありません。もうお買い上げいただいてしまって、一点ものですのでご期待に沿うことができません。次の機会をお待ちいただけないでしょうか」
一点ものの4枚が完売した午後2時からは電話は来なくなった。高崎高島屋が
「『平賢』の一点ものは完売した。問い合わせが来たら、その旨をお答えするように」
と電話交換手に手配してくれたらしい。
そのころ小山さんは、桐生の工場でてぬぐいを染めていた。染めながら、高崎高島屋の客の反応が気になって仕方がない。
「売れたかな? いや、金箔を使ったとはいえ1本10万円だもんな、そんなに簡単に売れるわけはないよな。やっぱりもう少し安くしておけばよかったか? せめて8万円とか…」
小山さんが、わずか4時間ほどで一点もの4枚が完売したと知ったのは、夕刻だった。それまでは客の対応に追われ、昌代さんは電話をする時間もなかったのだ。
「えっ、あ、そう、たった4時間で売れたの…」
それ以上の言葉が出なかった。
群馬展は6日間である。一点ものが完売した「平賢」は残りの5.5日、売るものは1枚1500円、1800円、3500円の安い「桐生てぬぐい」だけしかない。だが、幕が閉じると、「平賢」の売り上げは120万円に上っていた。1枚平均2000円だとしても500枚が売れたことになる。
「出店した店舗の中で2位でした。1位は地元高崎で革製品を製造販売している会社だったそうです。その差は確か20万円ほど。向こうは革製品ですから1点で4万円、5万円します。それを考えれば、『平賢』は健闘したと思いますよ」
「平賢」が、変わった。
写真=「而今」も「風伯雷公」もこの工場で生まれた
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