肩書きとは不思議なものである。今日から「群馬県ふるさと伝統工芸士」という肩書きがついたからといって、昨日までの自分と変わるところは何もないはずだ。せいぜい、その事実を知った人が自分を見る時の目が少し違って来る程度だろう。
だが、変わる人がいる。
「この印籠の紋所が目に入らぬか!」
とばかりに肩書きを振り回す。お上に認められて自惚れが膨れ上がってしまうのだ。誰彼かまわず、まず肩書きをちらつかせる。相手が心のうちで
「それがどうした?」
と舌打ちしていることなどに気がつくことはない。一言で言えば、イヤなヤツになる。
小山さんも変わった。だが、うぬぼれたのではない。何とも不思議な変わり方をしたのである。
小山さんは、なれるはずはないと思っていた「群馬県ふるさと伝統工芸士」になって、
「そうか、私も伝統工芸士か。だったら、その肩書きにふさわしい作品を作らなくては」
と考え始めたのである。
「確かに、これまで門前払いされていた温泉地の土産屋さんも、この肩書きがついたらすんなり店に置いてくれた。だからそれなりの効果はあったのですが、考えてみたら、『群馬県』っていう限定付きの工芸士でしょ? たいしたことはないといえばたいしたことはないんだけど、肩書きに負けちゃいけないだろうと」
ふるさと伝統工芸士である。いつまでも、ほんの少しデザインらしいものを施した手ぬぐいを染めていていいのか? いや、それも収入源だから続けはする。だが、ふるさと伝統工芸士である以上、本当に自分の作品らしいもの、本当に自分が作りたいものを作り出さねばならないのではないか?
しかし、捺染で、どんなものを染め上げたら、工芸士らしい作品に、自分らしい作品になるのか?
「作品」を考え始めた。机にへばりつき、パソコンでグラフィックソフト・イラストレーターを立ち上げてモニターをにらみつけていてもアイデアが浮かぶものではない。むしろ、1日の仕事を終えて入浴している最中、生理的欲求に従って駆け込んだトイレ、時折気の合った友と囲む酒席、あるいは趣味のランニングで汗を流している時、フッと画像が脳裏に浮かぶのである。浮かんだ画像は消え去る前に書き留めないと消え去ってしまう。その日からメモ帳が手放せなくなった。浮かんだ画像を、それが思い出せるような言葉にして書き残すのである。
――えっ、ランニング中にどうやってメモをとるの?
「立ち止まって、ポケットからメモ帳とペンをとり出すんですよ」
そして、メモ帳に記録したアイデアは、できるだけ早くパソコンで画像にした。イラストレーターを使って、言葉を画像に変えるのである。
少しずつ、パソコンに残す画像が増え始めた。
「6月に、群馬県庁1階の県民ホールで『群馬県ふるさと伝統工芸品展』を開きます。群馬県ふるさと伝統工芸士に認定されていることが出品の条件です。小山さん、あなたは有資格者です。出してみませんか?」
県庁からそんな打診があったのは、2025年5月のことだった。
単なる捺染職人から、捺染の技を活かした「作家」になろうと意を固めていた小山さんには、渡りに船の話である。そうか、ふるさと伝統工芸士になると、そんな機会が与えられるのか。だったら、私が
「これでどうだ?!」
という手ぬぐいを創り出そう。しかも、この催しは、会場での「販売」を前提にしている。私の手ぬぐいに財布のひもを開いてくれる人々は、最高のアンパイアである。そんな人たちの審判を受けてみたい!
だが、どんな作品を出せばいいのだろう? 模索が始まった。
写真=事務所でデザインに取り組む小山さん
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