手編みの技をいまに 中島メリヤスの3

【伝統芸】
東京から桐生を訪れるには、東武鉄道の浅草駅から特急「りょうもう号」が便利だ。便数が少ないのが難点だが、乗れば1時間40分前後で新桐生駅に到着する。
新桐生駅を出て県道桐生伊勢崎線を左折、桐生市街方面に向かうと、4月初めにはみごとな桜並木に出迎えられる。道の両側から満開の花をつけた枝が張り出し、まるで桜のトンネルだ。トンネルを抜けるとすぐ左手に「中島メリヤス」の看板が目に入る。

「メリヤス? 桐生は繊維産業の町だが、ラクダのシャツや股引まで作ってるのか? しかし、最近はそんなものはトンと目にしなくなったが、会社としてやっていけるのかな?」

筆者は看板を目にするたびに、そんな思いにとらわれていた。10年以上も桐生で暮らしながら、それがとんでもない間違いであることを知ったのは今回の取材を始めてからのことである。不明を恥じるほかない。

創業は1948年(昭和23年)。大正天皇の近衛兵として新潟から上京した祖父・四郎さんが、太平洋戦争が激化すると桐生市の隣、太田市の中島飛行機で航空機の整備の仕事に就いた。敗戦で職を失ったころ、知人が「退職金代わりにもらった」という手動の編み機を譲ってくれたのが道を開いた。

(創業者、中島四郎さん)

編み物には全くの素人である。しかし、ほかに暮らしを立てるあてがない。すでに妻があった。四郎さんは繊維産業が盛んな桐生市で、見よう見まねで股引やセーターを編み始めた。それだけでは満足な収入が得られず、創業当時の「中島メリヤス」は、タバコをはじめ様々な雑貨を並べた。綿から糸を曳いて売ったこともある。

「はい、創業当時の我が社は、雑貨屋だったと聞いています」

と敬行さんはいう。

事業主は事業の近代化、高度化を試みる。四郎さんは中島飛行機で習い覚えた機械の知識を活用した。モーターを調達すると自力で編み機に取り付け、手動編み機を自動編み機に改造したのである。手編みに比べれば生産性が数倍、十数倍になった。
この改造が「中島メリヤス」の基礎を築くのだが、それが形になって見え始めるまでにはもう少し時間が必要だ。

手編みの技をいまに 中島メリヤスの2

【指名発注】
東京・千住に「天神ワークス」という革工房がある。皮に強いこだわりを持つメーカーとして根強いファンを持つ。
とは後で知ったことだ。「天神ワークス」から突然電話が入った数年前、中島敬行さんには未知の会社だった。

「スタンダードな革のカージャケットを作ろうと思っています。最上の子牛の皮を使います。それに相応しいニットパーツを作ってもらえるところを探して中島さんの評判を知りました。お願いできませんか?」

「中島メリヤス」はパーツメーカーである。理不尽な注文でない限り、仕事は引き受ける。しかし、最上の革とは? どんなニットパーツが求められている?

聞くと、使う革は独自の技法で丁寧になめし、1930年代から50年代の味を再現する。ほかでは出来ない独自のジャケットに仕上げるため、革だけでなく、ジッパーにも裏地にも、もちろんニットパーツにも最高級の物を使う。ニットパーツを使うのは衿、袖、サイドベントの3箇所で素材はウール。

仕事は難しいほど面白い。引き受けた中島敬行さんはまず、素材選びから考えた。
このレザージャケットにはどんなニットパーツが合うか? クラシックな雰囲気にはソフトな衿や袖では似合わないだろう。ゴツゴツするような手触りが欲しい。
選び取ったのは英国のウールである。北極圏からの寒気と雨風の厳しい環境で育つ羊はハリ、コシのある毛をつける。それに毛に黒と茶が混じるのも面白い。これに南米産の羊毛を混ぜてやろう。
そして、古い編み機を使う。もともと低速の編み機の速度をさらに落として編む。昔はもっと編みの速さは遅かったはずだから……。

(出来上がった衿)

分厚い、ざっくりした編み目のニットパーツが出来上がった。狙い通り、手触りは粗く、しっかりとしたコシがある。

「はい、あの質感のあるレザーに負けない存在感のあるパーツが編めたと思います」

一発で採用された。もちろん、「中島メリヤス」のパーツが使われているからとこのジャケットを買う客はいないだろう。だが、このジャケットの高級感、ファッションセンスを具体化するには「中島メリヤス」の技が役立ったはずである。

手編みの技をいまに 中島メリヤスの1

【メリヤス】
編み物のこと。
日本に編み物の技法が伝わったのは比較的遅かった。17世紀から18世紀にかけてスペインやポルトガルから靴下などとして入ったといわれる。靴下のポルトガル語「メイアシュ」(meias)、スペイン語の「メディアス」(medias)が当時の日本人の耳には「メリヤス」と聞こえたらしい。
漢字で「莫大小」と書く。「莫」は否定の意味を持つ。編み物が伸び縮みするため、「大小がない」の意味でこの漢字があてられたという。
かつては編み物や伸縮性のある生地全般を「メリヤス」と呼んだ。その後、主に肌着をメリヤスと呼んだ時期を経て、いまやほぼ死語に近い。「中島メリヤス」は、伝統ある「メリヤス」を社名にしている数少ない会社の1つである。
現代では編み物全般を「ニット」といい、肌に触れない外衣を「ジャージー」と呼ぶのが一般的になった。ニットといえばまずセーターやマフラーが思い浮かぶが、「中島メリヤス」は生産していない。日々作りだしているのはジャンパーの袖、裾、ポロシャツの衿など、業界でニットパーツと呼ばれる衣服の部分品である。70年を超すパーツ専業メーカーで、創業当時の手動編み機の技法を伝承するからこそ出来る、細部にまで神経が行き届いた丁寧なものづくりの技が高く評価されている。

【伝統のチェックを超えた!】
あるスポーツ用品メーカーから、チェック柄のポロシャツの衿の注文を受けた時のことだ。検品に訪れたメーカーの担当者が出来上がった衿を点検しながら、驚いたような顔を、「中島メリヤス」の3代目経営者中島敬行さんに向けた。

※ポロシャツは丸編みした本体部分に、衿、袖口などのニットパーツを縫い付ける。

「これ、あのポロシャツの衿よりも綺麗ですね!」

英国に世界的に著名なトレンチコートメーカーが2社ある。担当員が指摘したのは、そのうちの1社が販売しているポロシャツだった。誰もが一目で分かる独特のチェック柄を衿に扱ったポロシャツが市販されていた。
あの衿より、うちで編んだ衿の方が綺麗?

「この、縦と横のラインが重なる部分ですよ。ほら」

経糸(たていと)と緯糸(よこいと)を交差させる織物と違い、編み物は糸が作るループ同士を絡み合わせる。手近にニット製品があれば手に取っていただきたいが、編み目が明瞭に表に現れる。緯編(よこあみ)するポロシャツの衿はV字型に編み目が並び、複数の色を組み合わせると、この「V」が並んでラインになる。

指先に宿る技 石原好子さんの3

【通す】
よじり作業は終わった。だが、石原さんの仕事はまだまだ終わらない。

繋がれて横にピンと張った糸の下を覗くと、垂れ下がった糸が見える。繋ぎ目がほどけて垂れ下がっているのではない。この日繋いでいた新しい経糸は極めて細く、ほんの少しの力でプツリと切れてしまう。石原さんの作業ミスではないが、ここも繋いでやらないと機織りは出来ない。
切れた糸を丁寧に拾い上げ、石原さんはクルリクルリと左手の3本の指を滑らせながら繋ぎ続ける。

石原さんの仕事はまだ続く。新しい経糸を筬の隙間を通すまでがよじり屋の仕事なのだ。繋ぎ目がほどけないよう巻き取りビームを少しずつ動かして行く。繋ぎ目の瘤が、少しずつ移動し始めた。

実は、筬の隙間を通り越すまでに、繋ぎ目の瘤は3つの障害をクリアする障害物競争に参加させられる。

最初の障害は、ドロッパーと呼ばれる逆U字形の金属片である。経糸にぶら下げられ、糸が切れると下に落ちて織機の電源を落として動きを止める役割がある。織り傷を作らないための大切な装置だ。わずか1.5mほどの幅に9800本の糸が並んでいるから、ドロッパーは糸とほぼ並行になって9800枚下がっている。経糸はこのドロッパーのU字孔をUという字と平行に通ることになる。繋ぎ目の瘤もここを通り過ぎなければならない。

次は綜絖である。経糸を上下に分けるため、経糸が通る小さな穴が空けられた金属棒だ。繋ぎ目はこの穴を通らねばならない。

最後に、0.何㎜という狭い隙間が櫛の眼のように並んだ筬である。

どれもこれも、よじられただけの繋ぎ目にとっては難所である。下手に力を入れて巻き取ろうとすれば、引っかかって外れたり切れたりしかねない。

(石原さんは工場長の手伝いを求めた)

石原さんは工場長に助けを求めた。一人では出来ない工程なのだろう。

「少し回して」

1列に並んだ繋ぎ目がドロッパーの直前まで進んだ。石原さんと工場長は何度も糸を押さえてしごいた。ドロッパー全体を、バラバラ、という感じで左右に動かし、揺すった回数は数え切れない。糸同士が絡み合ってドロッパーで切断されるのを避けるためである。

指先に宿る技 石原好子さんの2

実は、経糸同士を繋ぐタイイング・マシンもある。この世界でも省力化、機械化は進んでいるのである。だが機屋さんによると、繋ごうとする糸の太さや種類が違ったり、左撚りと右撚の糸を繋ごうとしたりすると機械は頻繁にミスをする。繋いだはずが繋がっておらず、機械が動きを止めた後で点検すると、数百本、時には数千本の糸が繋がれないまま下に垂れ下がっていることもある。そのままでは新しい経糸を巻き取り用ビームに巻き取れないから、人が下に潜って1本ずつで繋ぐ羽目になる。

これまで人類は様々な労働を機械化してきた。いまは人間の脳に取って代わるコンピューターの開発に研究者はしのぎを削る。チェスや囲碁で人間を打ち負かすコンピューターが登場した。自動運転の技術の開発が進み、人に代わって車を操作するコンピューター技術として、コンピューターが人と同じように自分で学習するディープラーニング(機械学習、ともいう)が注目される時代である。機械は人間に挑戦し続ける。

確かに、計算の速さ、記憶の量、記憶の正確さ。どれをとってもコンピューターは人を追い越した。しかし、小説が書けるコンピューターがいまだに登場しないように、職人さんの技を凌駕する機械はなかなか生まれないのである。まったく同じものを正確に作り続ける機械はいくつもあるが、1つ1つ違った「味」を醸し出して人を惹きつける物を産み出す機械はない。作業中のちょっとした状況変化のすべてに機敏に対応して乗り越える機械もない。機械はまだ、「馬鹿の1つ覚え」の作業しか出来ないといってもいいすぎではない。