3種の経糸 桐生絹織の3

【3種の経糸】
千差万別の織り見本の注文がやってくる牛膓さんに、こんな質問をしてみた。

——一番難しかった織物を教えて下さい。

「うーん、できるまではいろいろと試行錯誤するけど、できちゃったらみんな同じように感じてしまうんで、どれが難しかったと言われても……」

しばらく考え込んだ牛膓さんはいった。

「やっぱり最初にやったヤツかなあ。あの、東京の問屋さんから来た最初の注文。あれ以上に難しいのもあったかも知れないけど、一番記憶に残っているし、それに僕の原点みたいなものだから」

経糸に素材と色、太さが異なる3種類の糸を使うものだった。黒いウール、青のアセテート、グレーのコットンである。
さらに、緯糸も3種類でウール、アセテート、レーヨンの3種。
その組合せの何が難しいのか。

経糸は織機にセットする前に、整経して糸を整える。ビームと呼ばれる筒に均等に巻きつける工程が整経である。4000本前後から1万6000本もの糸をビームに巻きつけて「玉」を作る。この「玉」を織機にセットする。

太さも素材も同じで色だけが違う経糸なら、整経の際に仕上がり通りに色を並べればよい。しかし、太さや素材が違うと1つの「玉」にはできない。太い糸の部分は盛り上がって山に、細い糸の部分は90度の絶壁にはさまれた谷になり、織っているうちにグチャグチャになりかねない。素材が違っても同じで、異種類の糸、太さや素材が違う糸をつかうには「玉」を増やす。機屋さんは「玉」を2つまででセットできる織機を持つことが多い。

難しいのは、ウールとコットンという、糸の表面に無数の毛羽立ちがある糸の扱いである。毛羽がある経糸は綜絖(そうこう)で上下に分けられるたびにこすりあい、毛羽が切れて空中を漂いはじめる。それが織機の微細な部分に入り込んで故障の原因になる。違う糸を織っている隣の織機に飛び移って生地に傷を作る。毛羽があるために隣の糸と絡んで糸切れを起こす。

だから2つの「玉」で2種類の経糸を使うだけでも大変である。それなのに、この注文は「玉」を3つ使うしかない。しかも3つの糸は伸び方がそれぞれ違う。それぞれのテンションを調整しないと、織り上がった生地がうねってしまう。

「どうすりゃいいんだ?」

と牛膓さんが頭を抱えたのは、まだ素人同然だったからではない。織りのあれこれを知り尽くしたベテランでも敬して遠ざける注文なのである。

3種の経糸 桐生絹織の2

【留学】
牛膓さんは老舗機屋・桐生絹織の長男である。
ある人が

「あれはジャズのリズムですよ」

と表現した機音に囲まれて育った。だから、周りは皆

「いずれは4代目になる」

と期待していたはずだ。ところが本人は全くその気がなかった。大学附属の進学校に通い、

「君の成績なら歯学部に行けるぞ。どうだ?」

と先生に打診されると

「歯医者か。それもいいな」

と面接を受けた。自信満々で臨んだのだが、何故か面接に失敗する。いま振り返れば、運命の糸は家業につながっていたのだが、当時の牛膓さんはまだ気が付かない。

「歯学部に行けない? だったら日本の大学に行はやめた!」

と、高校を卒業するとすぐにオーストラリアに旅立ったのである。

大学付属の語学学校に1年。そのまま経営学部に進んだ。留学は順調に滑り出したかに見えた。それなのに、わずか2週間で退学する。

「日常会話には困らなくなっていましたが、先生が口にする専門用語が全く分からない。あ、こりゃあ駄目だ、って」

さて、どうする? 学生ビザでの入国だから働くことはできない。とはいえ、身につけたのは英会話力程度だから、おめおめと日本に帰るわけにもいかない。やむなくブラブラしているうちに知り合った日本人と、

「ここでできた人脈と英会話力を使って貿易の会社でも立ち上げようか」

と将来設計を組み立て始めた頃だった。母・キヨ子さんから突然SOSが飛び込んだのだ。

「すぐに帰国してちょうだい」

1971年、日本は繊維製品の輸出自主規制に踏み切った。当時の佐藤首相が沖縄返還交渉を有利に運ぶため、米国が求めた無理筋の要求を受け入れたのである。「糸で縄を買った」といわれた外交が日本の繊維産業を直撃した。

輸出にたがをはめられた日本の繊維産業は衰退に向かう。織都・桐生はなんとか踏みこたえようとした。それでも、桐生の繊維産業関係者は一様に

「1990年前後が曲がり角だった」

という。桐生の街から賑わいが消えた。

そして桐生絹織にも強い逆風が吹いた。悪化する一方の事業環境にも父・章さんは弱音を吐かなかった。しかし、駆けずり回る章さんの姿に心を痛めたのだろう。母・キヨ子さんが穣さんに助けを求めたのだった。

「えっ、俺が機屋になる?」

考えたこともなかった。しかし、ほかに選択肢はなかった。牛膓さんは帰国の途についた。

3種の経糸 桐生絹織の1

【織物の組織】
織物には3つの基本パターンがある。

 

 

基本中の基本になるのが「平織り」だ。経糸(たていと)と緯糸(よこいと)が1本ずつ交互に交差する。最も密な織り方で、丈夫で腰がある布になる。

 

 

 

 

 

「綾(あや)織り」は経糸が2本、あるいは3本の緯糸をまたいで表に出る。経糸、緯糸が交差する点が少なくなるためやや摩擦に弱いが、柔らかく、しわになりにくい。また「平織り」に比べれば表に出る経糸の比率が増えるため光沢が出る。デニム、ツイードなどが代表的な「綾織り」である。

 

 

 

 

 

表に出る経糸の比率をさらに高めたのが「朱子織(しゅすおり)」(「繻子織」とも書く)である。手触りが柔らかく、強い光沢が得られるが、経糸が浮いている区間が長いため摩擦に弱く、ともすれば何かに引っかかって切れてしまうこともある。ドスキン、サテンなどが「繻子織」で織られている。

 

織物はこの3つの基本パターンを拡張したり組み合わせたりして2次元の組織に織り上げるが、色柄を折り込む場合は綜絖(そうこう)で上下に分けた経糸の1つの隙間に数本の緯糸が通るため、3次元の構造物になる。
例えば花柄を入れるとする。地の色が白、葉が緑、茎が茶、花びらが赤とすると、綜絖の操作でできた経糸の隙間にこの4色の緯糸を通す。端から見ればまず白が表に出、茎を描くところでは茶が、葉の部分では緑が、花びらのところは赤が表に出る。見せたくない色は裏に隠れる。緯糸は4段重ねになるわけだ。
1つの隙間で2色を表面に出すこともある。中間色を出すためで、その際は2段重ねになった緯糸が2列になる。
このため糸の太さも考慮しなければならない。同じ太さの糸を使えば、4段重ねの部分は4倍の厚みを持つことになるからだ。その凹凸感を出したい場合は別として、普通はそれぞれの緯糸の太さを調整してできるだけ凹凸感が少なくなるよう設計する。
毎日何の気なしに身につけている衣服だが、少し中に立ち入ってみると2次元と3次元を組合せた複雑な構築物であることが見え始める。織物をここまで練り上げた人々の工夫と努力に頭が下がる思いがする。

灯台下暗し 鍋谷建具店の3

【接着剤】
大澤さんを説得することはできた。仕事は繋がった。
だが、会社に戻った鍋谷さんは、自分が新たな課題を抱え込んだことを知る。柔らかいニャトウでも接着に苦労したのだ。檜はニャトウに比べれば固い。うまく接着できるか?

「木工ボンドで駄目なら、ニカワやエポキシ系の接着剤を使えばよかったじゃないですか」

筆者はそう聞いてみた。言下に否定された。

「刺繍枠は両面に鉋をかけて仕上げます。ニカワもエポキシも乾けばすごく固くなるので鉋の刃がボロボロになります。使えません」

筆者の質問を一知半解の典型というのだろう。

やはり、ボンドを使わねばならない。鍋谷さんは考えた。どこかに解決法があるはずだ……。

ヒントは再び組子にあった。組子細工に組み入れた曲がった桟は、取りはずしても曲がったままである。あ、そうか。湯につけて柔らかくなった檜を曲げたまま乾かせばいいのか。乾いた後でボンドで着ければ問題は解決する!

   自作の管。中に作業途中の薄板が見える。

鍋谷さんは手元にある木材で真円の管を作った。2㎜厚の板を湯で柔らかくし、この管の内側にピッタリ押しつけて乾かす。取り出して4層に貼り合わせてみると、立派に、丈夫な真円ができた。これなら刺繍枠に使える。大澤さんの注文を受けてから2年弱。2021年10月のことだった。大澤さんに認められたことはいうまでもない。

「実は」

と鍋谷さんは語り出した。

   管から取り出した薄板
薄板を貼り合わせるための治具。これも自作である。


「本音を言えば、途中で放り出したくなりました。どうやってもうまく行かない。これじゃ全く商売にならない。でもね、大澤さんっていう方に何かを感じたんです。もう少しお付き合いしてみたい、お手伝いをさせた頂きたいって思って試作を続けたんですよ」

完成したプロ用の刺繍枠を

「売りたい」

という会社が現れた。刺繍糸の専業メーカー、パールヨットである。糸を売っているのだから刺繍枠メーカーを知っているのではないか、との問い合わせがしょっちゅうあるのだ。全国の刺繍のプロは、やっぱり刺繍枠が手に入らなくて困っているらしい。

「やっと商売になりそうです」

鍋谷さんはホッとした表情を見せた。

灯台下暗し 鍋谷建具店の2

【出会い】
キューピッド役をしてくれたのは、知り合いの建設業者だった。ギャラリーを尋ねてきた彼女と雑談しながら、刺繍枠を作ってくれる人がいなくて、このままでは刺繍を続けていけなくなるかも知れないと、つい弱音を漏らした。
すると、

「桐生市内で、うちの下職をやってる腕のいい建具屋がいるんですよ。彼ならできるかも知れない。ご紹介しましょうか?」

といってくれたのである。

といわれても半信半疑だった。群馬県内は評判を頼りに余すところなく足を伸ばした。遠くは秋田まで電話で問い合わせた。それでも1人もいなかったのに、足元の桐生に作ってくれる職人さんがいる? 灯台下暗し、って本当にあるのか?

が、ダメ元である。

「だったら、お願いしてみようかしら」

2020年始めのことだった。

数日後、鍋谷建具店の鍋谷由紀一さんが大澤さんのギャラリーを訪ねて来た。

「こちらをお尋ねしろと言われまして」

鍋谷さん作のドア。念入りに作られた組子が美しい。

聞けば、一品物のドアや障子、襖、衝立などを作る職人さんである。2015年には厚生労働省所管の中央職業能力開発協会が主催する技能グランプリで、組子(釘を使わず、細い木の桟を幾何学的な紋様に組み上げる技)を使った衝立でみごとグランプリに輝いたという。

大澤さんは早速作って欲しい刺繍枠の説明を始めた。
刺繍枠は伝統的に桜材でできていた。だから、桜を使って欲しい。

「それは駄目です。いま素性のいい桜材は手に入りません」

そうか、枠作りの職人がいなくなったのは、ひょっとしたら材料が手に入らなくなったことも原因の1つかも知れない。しかし、だから刺繍枠ができないのでは困る。

「では、材料は任せます。ただ、ある程度の弾性がないと生地を上手く固定できないし、それに重いと作業性が落ちます。そこに配慮して作ってみて下さい」