背中を押されて 金加の1

【キルティング】
英語では Quilting。ジーニアス英和辞典によると、動詞の quilt には
①……を刺し子縫いする;(手紙・金など)を(……の間に)縫い込む
②……に詰め物(裏打ち)をする
③(文学作品などを)寄せ集めて編集する、
などの訳語がある。刺し子とは布を重ねて縫い合わせることで、極めて丈夫になるため柔道着や消防服などに使われる手法だ。
単に複数の布を重ね縫いするだけでなく、表布と裏布の間に綿や毛糸、羽毛などを挟み込み、3つの層がずれないように重ね縫いしたものをキルティングという。丈夫なだけではなく、中に挟み込むものによって保温性やクッション性を高めることができる。布団などの寝具、防寒用のジャケット、コートなどのほか、バッグ、運送用の保護緩衝材など、多方面に使われる。
布地に堅牢性や保温性、クッション性という機能を持たせるのがキルティング加工の最大の狙いなので、縫い目はシンプルなマス目状のものが一般的だ。それだけでも、通常は平面である生地の表面に凹凸が生まれて3次元の表情を描き出す。さらに、機能性に加えて、縫い目を曲線にしたり複雑なデザインを描いたりして装飾性を高めた様々なキルトパターンも数多い。
また、高級ブランドで名高いCHANELのバッグは表面にキルティングを施して独特のファッション性を生み出し、根強いファンを持つ。また、キルティングを衣服のデザインに取り入れたものとしてはMACKINTOSHが名高い。

【4辺縫い】
ベッド周りのキルティング加工、縫製を手広く手がける金加の社長・金井正一さんが、

「こんな機械は出来ないだろうか?」

と岐阜県羽島市のメーカーに打診したのは2005年前後のことだった。

金加の主力商品はスプリングなどでできたベッド用マットレスの構造体を上下左右から包み込むマットである。表地と裏地の間に綿、ウレタンなどを挟み込み、キルティング加工をして作る。
かつては厚さ2、3㎝がマットの主流だった。しかし、その数年前から厚さ5㎝を超えるものが求められるようになっていた。恐らく、より快適な眠りに誘うベッドを求める人が時を追って増えたのだろう。

それはよい。しかし、厚みが増すと困ることがある。マットを仕上げるには4辺を縫わねばならない。ところがそんなに厚い生地を縫うミシンがない。だから金加は3つの層がずれないようにキルティング加工した生地を50mのロールにして出荷していた。この生地を裁断し、4辺を縫う難しい作業はベッドメーカーに任せていたのである。

実はこの工程は、ベッドメーカー泣かせでもあった。5㎝以上もあるフカフカしたマットはそのままではミシンにかからない。やむなく力で押さてできるだけペシャンコにしてミシンに通していたのだが、無理な作業だけに端から離れたところを縫わねば綺麗に仕上がらない。だから幅100㎝のマットを作るには、115㎝幅のキルティング加工した生地が必要だった。15㎝は縫った後でカットし、ゴミにするしかない。難しく、無駄が出て、環境にも悪い。

同じ長年作業を続けてきた金井さんは、いつしか

「自動的に、マットの4面を縫う機械は出来ないか」

と考えるようになった。そんな機械ができれば難作業がなくなり、無駄が減る。ベッドメーカーに喜ばれ、納入価格にも反映するはずだ。

色の移ろい 天然染色研究所の3

【枇杷色】
田島さんは4人の子どもを育てた。1番下の実里さんが成人式を迎えたのは、田島染工を閉じる少し前の2000年である。
これで子ども全員が成人する。人生の一区切りだ。何か記念になる祝い方ができないか。田島さんは考えた。

自宅の玄関前に大きな枇杷(びわ)の木がある。ある日、何の気なしに見ていたら急に想い出が沸き上がった。子どもたちと実を採って食べた。鳥をみんなで追い払った。この木に登る子どもたちをハラハラしながら見守った。特に、末っ子の実里はお転婆だったから……。

枇杷の葉で染めたストール

「そうだ、この木で実里の振袖を染めてやったら、家族の思いがいっぱいこもった晴着になる!」

だが、枇杷の葉で染めた布は地味な茶色だ。晴れの日の衣装には地味すぎる。しかし、何とかならないか。そうだ、鹿の子絞りにすれば実里にも似合う、あか抜けした着物になるのではないか

鹿の子絞りとは、生地に糸でたくさんの絞りを作って染める手法だ。まず、生地を四つ折りにし、その角を糸で縛って絞りを作る。こうして数千箇所を絞った生地を染め、あとで絞った糸を全て取り除く。糸でくくったところは染まらずに白く残り、四つ折りにした先端は染まるため、小さな白い輪が鹿の紋様のように繰り返す。
これなら、枇杷の地味な茶で染めても飛びきりお洒落な生地に仕上がるはずだ!

絞りができた生地を探した。だが、余りに手数がかかるためか、すでに国内では手に入らないことが分かっただけだった。鹿の子絞りは無理か? 想い出の詰まった枇杷の木で染めることはできないのか?

諦めかけたとき、思いもしなかったところから鹿の子絞りの生地が手に入った。群馬県内の女子大で寮母をしている親族から

「中国人の留学生が、国から取り寄せた生地を譲ってもいいといっている」

と連絡が来たのである。

「それからもひと苦労でね」

父が染めた晴着を着た実里さん

玄関先の枇杷の木から葉を取り始めた。着物1着分にはまだまだ足りないと取り続けると、45リットルのゴミ袋5袋分の葉がたまった。

次は色素を煮出さなければならない。大鍋に水を張り、ネットでくるんだ葉を入れ、沸騰させて15分。同じ葉を2回ずつ煮出して、約100リットルの染色液ができたのは3日後のことだった。媒染剤は市販の銅焙煎液を使った。

寸銅鍋に染色液を入れ、媒染剤で濡らした生地を入れる。80℃〜90℃に加熱して10分から20分。染めムラができないように常にかき回す。1度だけでは色が薄く、この作業を3回繰り返して濃い「枇杷色」を手に入れた。2日がかりの作業だった。

「自分で言うのもおかしいけど、嬉しくなるほどの染め上がりでした」

実里さんが仕立て上がった晴着で成人式に臨んだのはいうまでもない。

「桐生が大雪に見舞われた日だったという想い出があります」

実里さんはすでに2児の母だが、父が染めた枇杷色、鹿の子絞りの晴着は、いまでも大切に仕舞っているのはいうまでもない。

色の移ろい 天然染色研究所の2

【紫紺】
古代色の復元に取りかかったのは65歳前後だった。
まず手がけたのは、高貴な色とされていた紫だった。聖徳太子の冠位12階でも最高位の人だけに許されていた色である。
紫を染めるにはムラサキツユクサの根を使う。この色を「紫根」という。古代は、60℃ほどの湯をかけながらムラサキツユクサの根を臼でつぶした。こうして色素を湯の中に取り出し、薄い紫色の染色液を作る。染める反物に十分なだけの染色液を作るのだから大変な作業である。
布をこの液につけただけでは、繊維の上に色素が乗るだけだ。洗えば大半は落ちてしまう。繊維と色素をしっかりと結びつけるためには、色素に化学変化を起こさせる媒染剤がいる。紫根の染色では、古代は椿の灰汁が使われた。当時の人達が知るはずはなかったが、椿にはアルミ成分が多く含まれ、紫紺の媒染剤に最も適しているのだ。椿の灰汁に染める布を浸し、紫色の染色液に浸す。1、2度浸せば薄い紫に染まる。濃い紫は何度も浸す。

しかし、いまでは色素を取り出すにも、媒染剤の選択にも科学的に確立された方法がある。田島さんは迷わず、現代科学の成果を採用した。

ムラサキツユクサの根の色素はメチルアルコールに容易に溶け出す。メチルに根を浸すと色素のほとんどが溶け出して濃い紫の染色液になる。
媒染剤は何処でも手に入るミョウバンだ。ミョウバンはアルミと鉄、硫酸の化合物で水に溶ける。このミョウバン液に布を浸したあと染色液に漬けるのである。濃い紫の液だから簡単に染まる。薄い紫が欲しければ染色液に水を足して薄める。

作業を簡素化しただけではない。染め上がりの色は媒染剤中のアルミの量に左右される。少ないと紫は赤みを帯び、多いと青みがかる。椿の灰汁では含まれるアルミの量が分からず、狙った紫を出すのが難しい。しかし、ミョウバンのアルミ含有量はほぼ一定だから、思い通りの色に簡単に仕上がる。

「昔の人はムラサキツユクサの根から紫の色素をできるだけ沢山取り出そうと力を注いだでしょう。より濃い染色液ができれば染め上がりが綺麗になるからです。椿の灰汁にも神経を尖らせたでしょうが、こればかりは染めてみないと分からない。そうやって手間暇かけて最高に仕上がったものが高貴な人達に納められたのでしょう。ところが、いまの化学を使えば、簡単に古代に最高とされた紫根が再現できます」

色の移ろい 天然染色研究所の1

天然染色研究所の棚に並ぶ染色の材料

【草木染め】
文字通り、草や木を使って繊維を染めること。私たちの祖先はすでに紀元前3000年頃には布を染め、色を身にまとい始めたといわれる。当初は木の実や花、葉を布にこすりつけて色を付けただけだったろう。やがて花びらや木の皮、根などを煮出したり絞ったりして液を取り出す手法が生まれた。染める前の布を灰汁(あく=木などを燃した灰の汁)に、恐らく偶然浸したら色が落ちにくくなった。灰汁に含まれるアルミ、鉄、銅などが色素に結びつく化学変化が起きたためで、いまいう媒染剤が発見されて人類は多彩な、落ちにくい色を手に入れた。
ほかにもイカスミ、貝の分泌液などの動物性染料、ベンガラ(黄土を焼いて作る赤色の顔料)などの鉱物性染料を使う染色もあった。いずれにしても19世紀半ばに化学染料が発明されて普及するまでの長い間、人々は自然から色を頂いていた。
草木染めはまず材料となる草木の収穫から始まる。様々な手間を加えて色素を抽出し、媒染剤を加えて染め上げる。手に入りにくい材料もあり、中でも希少なムラサキソウの根(紫根)から揉み出した液で染める紫(紫根色)は極めて高価で上流階級しか手にできなかった。高貴な色となったのはこのためだといわれる。
このように、かつて衣服の色は経済力、社会階層を反映していた。これを制度として定着させたのが聖徳太子の冠衣12階の制である。臣下の身分を「徳・仁・礼・信・義・智」とし、それぞれに「大・小」をつけて12階級に分けた。そしてそれぞれの階級がかぶる冠の色を定めたのである。上から「紫・青・赤・黄・白・黒」の順で、それぞれ「大」は濃い色を、「小」は薄い色の冠をかぶった。自分の階級の色を「当色」といい、自分より下の階級の色を身につけることは自由だったが、上の階級の色は「禁色」だった。
世が豊かになるにつれて庶民も衣服の色を楽しむようになった。江戸時代後期には行きすぎた景気を冷やそうと何度も奢侈禁止令が出て、とうとう衣服の色まで規制された。武士以外の階級が身につけていいのは「茶色」「鼠色」「藍色」に限られたのである。しかし、経済力をつけてきた町人を中心とする庶民の「美」への憧れは押さえつけることが難しかった。許された色の中で繊細に違う色を染め出す「四十八茶百鼠(しじゅうはっちゃひゃくねずみ)」が生まれ、庶民は規制を逃れて色を楽しんだ。幕府の規制がそれまでなかった色を生み出し、日本人の豊かな美意識を引き出したともいえる。

確認、確認、確認 今泉機拵所の3

【工夫】
正確さ。それは機拵えの絶対条件である。間違いなく組み立てられた架物がなくては、布は織れない。
だが、それだけで足りるのなら、筆者にだって明日からできそうだ。まず、今泉さんの仕事の進め方をじっくり見せてもらう。全体の作業が理解できたら自分でやり始める。時間は今泉さんの数倍、いや数十倍かかるかもしれない。それでも

「架物の納期はあまり気にしないんだよね。1ヶ月、2ヶ月かかるのは当たり前だから」

という機屋さんが多いから、何とかなるかも知れない。
では、機拵えは誰に頼んでも違いはないのだろうか?

「いや、今泉さんには随分助けられている」

というのは、桐生市内のある機屋さんである。今泉さんに作ってもらった架物は狂いにくいし、長持ちする、というのである。何故だろう?

小目板を固定する釘が打ち込まれているのが見えますか?

ナス管から下がる通じ糸を間違いなく配列するための目板は、木製の枠の間に、必要なだけ穴をあけた小さな目板を複数枚通して固定してある。普通はそのまま使うのだが、今泉さんは一工夫加えた。小さな目板を1枚ずつ、釘で枠に固定するのだ。

※枠に小さな目板を固定したものも目板という。これからは枠で固定された物を「大目板」と呼び、穴の空いた個別の板を「小目板」として区別することにした。

「小目板はほとんどが木製なんで、使っているうちに水気を吸って伸びちゃうんだよ。そうすると穴の位置が微妙に変わって、その下に下がっている綜絖の位置が狂い、ついには経糸と経糸の隙間が違ってくる。1枚ずつ釘で止めておけば、少しでも狂いを少なく出来るんじゃないかと思ってね」

自分で考えた工夫である。同じ仕事をしていた兄にも

「釘で止めた方がいいんじゃないか?」

といったことはある。しかし、まだ今泉さん独自の工夫に止まっている。

【お勧め】
「金はかかるけど、できれば木製の小目板ではなくて、ファイバー製の小目板を使った方がいい。少なくとも両端の板はファイバー製にしなさいよ」

赤っぽく見えるのがファイバー製の目板

今泉さんは、架物を注文してきた機屋さんにそう声をかける。どちらを使おうと今泉さんの手間賃が変わるわけではない。それに、木製の標準的な小目板でも長さ20㎝で1万数千円する。穴が小さくなるとさらに高くなる。ファイバー製になるとその3倍はするから、コストが跳ね上がる。
では、自分の利益にはならず、コストアップを招いて機屋さんからは嫌われかねないファイバー製を何故勧めるのか。

ナス管から下がった通じ糸は、漢字の「八」の字がたくさん重なった形になる。外の糸になるに従ってより深い角度で穴に入る上、ジャカードの上下に伴って小目板の穴の一部とよけにこすり合う。1分間に数百回の摩擦で小目板の穴に溝ができるのは避けられず、深い角度とより多くの摩擦に晒される外側の小目板には深い溝ができる。そして木は摩擦に弱く、ファーバーは強い。

「目板にできる溝は通じ糸が切れる原因になる。だから少なくとも外側の小目板は、固いファーバー製にした方が長持ちするんだよ」