「平賢」の、静かなる暴走
第1回 価格決定権

「平賢」の、静かなる暴走

2025年6月、桐生えびす講の納涼会。その3年前に「桐生の職人さん」で取り上げた捺染業、「平賢」の小山哲平さんと同席した。少し酒が回り始めた頃、小山さんが意外なことを口にした。その目に、酒の勢いはない。

「もう一度取材して書いてくれませんか? 平賢はあの頃とは全く変わったんです」

もうかれこれ8年半ほど、「きりゅう自慢」を書き継いでいる。これまで書いてきたのは、私が

「これを書きたい」

と狙いを定め、お目にかかって趣旨を説明し、取材の許しを得た相手ばかりである。

「書いてくれ」

と頼まれたものは1本もない。書いてくれといわれて書くのは広告に限りなく近い。だから最初は戸惑った。私はPR文を書く気はない。
だが、一度は関心を持ち、お願いして取材させていただいた相手である。それに、3年前に書いた「平賢」がいまの「平賢」と違うのなら、正しい情報を伝えるためにもいまの「平賢」を書くべきではないか?

当時私は、地方版配車アプリ「MiTT」を自力開発した沼田屋タクシーを取材中だった。2件の取材を並行しては頭が混乱する。だからその席では

「だったら、いまの取材が終わったら、ゆっくり話を聞かせて欲しい」

と答えるにとどめた。取材を始めたのはその年の12月からである。テーマは1つ。「平賢」の何が、どう変わったのか。

数回取材するうちに、なるほど「平賢」はあの頃と変わったようだと腑に落ちた。いや、変わったというより、あの頃小山さんが迷いながら選び取った道に花が咲き、そろそろ実を結び始めたといった方が適切だろう。そうであれば、「平賢」をもう一度書かねばならない。

という次第で、「平賢」をもう一度取り上げる。だが、「平賢」の変貌をお伝えするには、変貌前の姿を知っていただかねばならない。リンクを張る手もあったが、お読みいただく方々の手間を考え、4年前の原稿を再録する。今回から3回にわたり、あの頃の「平賢」をまずお読みいただきたい。 

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【捺染】
布の染色法は「先染め」と「後染め」に大別できる。先染めは布にする前、つまり原料や糸の段階で染め、機屋さんは色の付いた糸で織ったり編んだりする。後染めは布に仕上げた後で色をつける。
「捺染(なっせん)」は後染めの手法の1つである。「捺」とは、押す、押さえつける、という意味で、染料と糊などの接着剤を混ぜ、布に押しつけて染める。木版や銅版に色を載せて紙や布に写す版画や、活版印刷も「捺染」の仲間といえる。原理が簡単なためか捺染の歴史は古く、紀元前2000年頃にはヨーロッパで使われていたといわれる。
繊維製品の捺染には、凹凸のついたローラー(こちらに染料を乗せる)と圧着用のローラーの間に布を通して染める機械捺染と、すべてを手作業で進める手捺染がある。手捺染はシルクスクリーンを張った型枠の上に置いた染料をへらで伸ばして1枚ずつ染める。シルクスクリーンはメッシュになった織物と紫外線で硬化する感光剤の2層構造で、染める絵柄を何かで覆って紫外線に晒したあと洗うと、紫外線を浴びていない部分の感光剤だけが洗い流され、染料を通すようになる。少し年配の方なら、ガリ版印刷と同じ仕組みといえば頷いていただけるのではないか。
平賢は手捺染専業である。五月の空を泳ぐ鯉のぼり、夏を彩る祭半天を染め続けてきたが、少子化や庭のない暮らしが広がって鯉のぼりの需要が減り、経営環境は年々厳しさを増す。愚痴の一つも出て来そうな時代だが、小山哲平専務は「逆境こそチャンス!」といわんばかりに新規分野の開拓に取り組む。
「捺染で、もっとできることがあるはずなんです」
2020年、その努力が小さな芽をつけ始めた。

【常識破り】
捺染業というのは、依頼主の注文に従って布を染める仕事である。どれほど技を凝らして染め上げてみても、何処にも染め主の名は現れない。同業者間の競争に晒されて値引きを迫られ、工賃の決定権もない。典型的な下請け仕事である。平賢も例外ではなかった。
だから、その注文が入った時、小山さんは自分の耳を疑った。

「予算が100万円以上あります。この金額で染められる枚数だけ染めて下さい」

2020年秋の中頃である。まず電話で

「ご相談したい」

と接触があり、1週間もたたないうちに来桐した担当者がそう切り出したのだ。予算内で染められる枚数だけ? 極端な話、

「1枚しか出来ません」

ということだって出来る。捺染業界からすれば、常識破りの注文である。
注文主は、アウトドア用品を輸入・販売する東京の会社だった。この会社が扱うアメリカのブランド「MYSTERY RANCH」のノベルティを作りたい。あれこれ考えたが、手ぬぐいにしようと思う。それを平賢で染めていただきたい。
デザインは持ち込みだった。黒地にオレンジの幾何学模様が入る。そして「MYSTERY RANCH Bozeman MT USA」の文字。1万6000円以上買ってくれた客にこれをプレゼントする。
この会社は全国に30程の店舗を持つ。まさか1枚というわけにもいくまい。話し合った結果、枚数は3000枚になり、予算は2倍近くに増えた。
工賃に平賢の意向が通る。小山さんには初めての経験だった。
試し刷りをする。それをアメリカの「MYSTERY RANCH」メーカーに送る。すぐに

「これでいい」

という返事が届き、本格作業が始まった。
仕上がりは黒地にオレンジだが、染める工程は逆である。まず全体をオレンジに染め、その上に黒を載せる。
「裏まで染め抜けというのが唯一の条件でした。それはいいのですが、始めてみると、文字の部分が滲んでしまう事故が多発しまして」

裏まで染料を染み渡らせるには、染料を水で溶いて柔らかくする。ところが、染料を柔らかくすると、どうしても黒とオレンジの境界部分で黒が滲み出してしまう。

「だから、染料の粘度調整に随分時間をとられまして」

いまでも人気が衰えない「MYSTERY RANCH」の手ぬぐい

いざ染めに取りかかると、3000枚という量が課題だった。捺染は1枚ずつ染める。つまり、大量生産には向かない。35㎝×90㎝の布の上にシルクスクリーンを乗せ、まずへらでオレンジの染料を延ばし、乾くのを待ってシルクスクリーンを取り換え、黒の染料を延ばす。

「力加減で染め上がりが変わります。力を抜けば裏まで染まらないから、出来るだけ力を入れて、全体が均一になるように染料を延ばしていきます。お蔭で、3000枚が出来上がったとき腕から肩までパンパンに張りまして。腱鞘炎になっちゃったかと」

2021年2月、全量を納品した。店頭に出ると、瞬く間に姿を消した。3000枚の限定生産だったためかコレクター人気も高く、ネットのオークションサイトでは1枚4000円ほどで取引されている(当時)。

「でもねえ、何故うちが選ばれたのかなあ」

あとで、桐生高校の後輩が、この会社の知り合いに

「桐生で捺染やってるところがあるよ」

と雑談交じりに話したということを聞いた。だが、たったそれだけの情報で、こんな型破りの注文をする会社があるか?

「うちのホームページぐらいはチェックされたかも知れませんけど……」

しかし、「平賢の捺染」は小山さんの自覚以上に、世の中では高く評価され始めていたのである。

写真:捺染作業をする小山哲平さん

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