朝倉染布第1回 魔法の布

朝倉染布の大ヒット商品、超撥水風呂敷「ながれ」は魔法の布だ。

布なのに、濡れない。水をはじく。平らに置いて水をかけると、布に残った水は玉になって布の上をコロコロと転がる。まるで蓮の葉の上で踊る朝露だ。初夏、蓮の葉の朝露を集めて墨をすり、笹に下げる短冊に願いを書いた幼き日を思い出す。

だから、「ながれ」があれば雨も恐くない。降り出したら頭からかぶればいい。少しの雨ならこれでやり過ごせる。

濡らしたくないものがあれば、もう1枚の「ながれ」を取り出してくるむ。友人のカメラマンはいつもバッグに「ながれ」を潜ませている。

「いつ何時、雨にたたられるか分かりませんからね。『ながれ』さえあれば、撮影地で突然の雨に襲われて雨中でシャッターを押す羽目に陥っても、大事な商売道具のカメラは救えますから」

水が運べる。「ながれ」で袋をつくり、中に水を入れれば漏れ出すことはない。緊急時のバケツ代わりとして立派に役割を果たす。

それなのに。

「ながれ」は水を通す。「ながれ」で水を包み込んだだけではバケツになるのに、少し力を入れてギュッと絞ってやれば、縫い目からシャワーのように水がほとばしる。設備がないキャンプ地でも、水さえあればシャワーの心地よさが堪能できる。

水を通すほどだから、もちろん空気の出入りは自由だ。こいつを身にまとえば、雨ははじく。でも肌が発散する水分は閉じ込められることなく発散し、中は蒸れない。理想的なレインコートの生地である。

朝倉染布第2回 おむつカバー

30数年前までの赤ちゃんのお尻は赤かった。赤い湿疹ができていかにもかゆそうだ。おむつかぶれである。

おむつなんてしなければお尻の周りが赤くなったり、泣き叫ぶほどかゆくなったりすることなんかないのに。いつもスッポンポンにしておいてよ。何でおむつなんかするんだ?

赤ちゃんはそう叫びたいのだろうな、というのは子育て中の親には、分かりすぎるほど分かっていた。おむつを取り替えるたびに、愛児の股間からお尻にかけて肌が真っ赤になり、ブツブツまでできているのがいやでも目に入るのだ。

「かわいそうに」

とは思う。だが、親にも事情がある。布団やベッドで寝ている愛児がおしっこやうんちを垂れ流しては、後始末に困る。それに、布団もベッドも代えはない。何らかの防御策が必要なのだ。

「ごめんね」

と心の中で謝りながら赤くなった肌を、湯で温かく湿らせたタオルで綺麗に拭き、クリームをすり込む。天花粉をはたいて洗いたてのおしめで愛児の股間をくるみ、ビニールやゴムなどで防水加工されたおしめカバーでくるみ、ボタンを留める。いま50歳から上の世代の方々の多くには、きっと記憶の片隅にそんな情景があるはずだ。

この防水素材がいけないんだろうな、と想像はつく。水を通さないからきっと中が蒸れるのだ。だが、代替手段はない。一日も早くおしめが取れてくれればこんな思いをさせなくても済むのだが、と諦めるしかなかった。

朝倉染布第3回 共同特許

水をはじく機能を持つ撥水剤を、架橋剤と呼ばれる薬剤で繊維に付着させる。言葉で書いてしまえば、撥水布を作るのはそれだけのことだ。いまなら、撥水加工ができるのは朝倉染布だけではない。

だが、技術開発の歴史とは、「それだけのこと」を実現するために流された汗の歴史でもある。
東レに呼びかけられた朝倉染布は共同研究に取り組み始めた。撥水剤を何に溶け込ませれば布に着きやすくなるのか。架橋剤にはどれがいいか。量産化するためにはどんな設備が必要か。課題は山ほどもあった。2社の共同研究チームは一つずつ難所を乗り越えていった。

試行錯誤を重ね、やっと布の撥水加工に成功したのは1980年のことである。撥水機能を持つ布を創り出すことができたのである。使ったのは有機溶剤にシリコンを溶け込ませた撥水剤だった。東レと朝倉染布は共同特許を取得し、すぐにおむつカバー用の生地として加工を始めたのはいうまでもない。

1980年、蒸れない、漏れないおしめカバーが売り出された。狙い通り、お母さん、お父さんに大歓迎を受けた。大成功である。

だが、問題があった。20回ほど洗濯すると、目に見えて撥水機能が落ちたのだ。

赤ちゃんの肌は清潔に保ちたい。だから洗濯の回数は増える。
だが、洗濯とは布地に付着したものを強制的に引き離すことである。洗剤には、わざわざ付着させた撥水剤や色と、汚れを見分ける力はない。どちらも、布地から引き離さねばならない邪魔者として、遠慮なく引き離しにかかる。

朝倉染布第4回 ガスマスク

毒ガスの原料にもなるトリクロロエチレンは、そのままでも毒性がある。気化したガスを少しでも吸い込めば頭痛や目まいがを引き起こす。大量だと死につながりかねない。

赤ちゃんの柔らかい肌は守りたい。しかし、そのために作業員に犠牲を強いることはあってはならない。さらに、気化した溶剤が工場の外に漏れ出せば、工場近くで暮らす人たちに同じ被害を与えてしまう。

もちろん、周辺問題については最初から見通しがあった。それがなければ生産を始めることは不可能である。

「たまたま、隣の足利市の山の中に工場を持っていました。人里から遠く離れており、周りには人家が全くないところです。縁があって土地を買い取り、当時はプリント工場として使っていたのですが、工場にゆとりがあったので、空いているところに撥水加工の設備を入れたそうです。だから、周辺問題は心配ありませんでした」(朝倉剛太郎社長)

だが、工場内は別だ。従業員は危険なトリクロロエチレンが漏れ出す恐れのある建物の中で働くのである。対策として、全員にガスマスクを義務づけた。しかし、ガスマスクをすれば息苦しく、作業効率が上がらないことがすぐに分かった。このため、ヨーロッパからリブラテックスという密閉型の加工機械を輸入した。

「当時で数千万円したと聞いています」(同)

この機械の中で溶剤に溶けた撥水剤を布に付着させる。撥水加工の工程は密閉された箱の中で進む。気化した溶剤を回収する機能もあるので溶剤のガスは一切外に漏れ出さない。これで常時ガスマスクを付けるは必要なくなった。

朝倉染布第5回 エマルジョン化

今度は東レの技術支援は望めない。朝倉染布だけの力で立ち向かうしかない。本当にできるのか? 社内は期待と心許なさが交錯した。だが、やらなければ、この隘路を切り開くことはできない。

「当時、フッ素系の撥水剤で水溶性のものが出てきた。これなら有機溶剤を使わずに済むので試してみた。しかし、撥水性能があまり良くない。いくら安全とはいえ、これを使っていたら他社と同じ加工しかできなくなる。何とかしなければ、と思いました」

当時を振り返るのは、岩崎延道技術顧問(元取締役技術部門長)である。

岩崎さんたちは3人で社内チームを作った。ふと思いついたのは、界面活性剤の利用である。有機溶剤にしか溶けないものでも、水との親和性を高める界面活性剤をうまく使えば水に溶かせるのではないか?
長年の経験が呼び起こした「勘」ともいえる。

染色工場は界面活性剤をよく使う。会社にはいつも10数種類の界面活性剤が備蓄されている。会社になくても、メーカーに声をかければいつでも試供品として提供してくれる。付き合いのないメーカーの界面活性剤は買ってくればいい。

こうして、50種類ほどの界面活性剤を集めた。さあ、いよいよ開発である。