松井ニット物語/松井智司の「美」 その2 虚弱児 Posted on 2021年8月24日 by anchor / 0件のコメント まだ幕の内。新年の目出度さが残る昭和13年(1938年)1月5日、智司社長は實さん、タケさんを両親とする4人兄妹の次男として桐生市内の産院で産声を上げた。 松井家はもと鮮魚商で、明治末に機屋に転業した。「松井工場」といっ...
松井ニット物語/松井智司の「美」 その3 藤娘 Posted on 2021年8月24日 by anchor / 0件のコメント 預け先の母の実家は丸帯専業の機屋だった。こちらも他に先駆けて力織機、それも※ジャカード織機を入れ、当時の最先端の技術で美しい帯を織っていた。 ※ジャカード織機:コンピューター制御織機の先駆けともいえる自動織機。穴の空いた...
松井ニット物語/松井智司の「美」 その4 四丁目小町 Posted on 2021年8月24日 by anchor / 0件のコメント 智司少年は、あまり手がかからなくなった5歳になって生家に戻った。すぐ近くに、「四丁目小町」と呼ばれた父方のおば、富貴さんが嫁いでいた。ご亭主は桐生工業専門学校(いまの群馬大学理工学部)の先生である。 魚屋だった松井家が機...
松井ニット物語/松井智司の「美」 その5 桐生の着倒れ Posted on 2021年8月24日 by anchor / 0件のコメント 話を少し戻す。 2歳から預けられた広沢のおばあちゃんの家も着道楽だったが、戻ってきた生家もまさるとも劣らぬ着道楽だった。 母は、普段着と外出着をきっちり区分けし、 「普段着は何でもいいけど、外に出るときはちゃんとしたもの...
松井ニット物語/松井智司の「美」 その6 若鷹の爪 Posted on 2021年8月24日 by anchor / 0件のコメント 智司少年は終戦の前年、桐生市立東小学校に入学した。 あれだけのマフラーをデザインする人である。そして、繁栄を極めた桐生で和の美に取り囲まれて育ち、繊細な美感を育ててきた子どもでもある。才能の一端は幼い頃から迸り出て、 「...