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日本1のフローリスト—近藤創さん
その7 2位入賞

近藤さんは、活け花にはある程度の自信があった。中学生で父に学び、高校生になると手ほどきを受けることもなくなっていたからである。お前に教えることはもうない、と認められたということだろう。だが、その父が、生花店が生き延びる新しい方向として進み始...
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日本1のフローリスト—近藤創さん
その6 花清の方向転換

大器がいよいよ姿を現したのは、大学2年生の夏のことだった。夏休みで帰省した近藤さんに、父・宗司さんが声をかけた。「おい、今年は新潟でJFTD主催のフラワーデザインのコンテストがある。俺は出るつもりだが、どうだ、お前も出てみないか」JFTDと...
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日本1のフローリスト—近藤創さん
その5 門前の小僧

使ったのは、まだ2、3年ものの松の若木である。この若木を使って松の老木を写し取らねばならない。駆使したのは「矯(た)め」と呼ばれる手法だ。松も、若木はほぼ真っ直ぐに伸びている。一方の老木は曲がりくねって、いかにも年老いて腰が曲がってしまった...
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日本1のフローリスト—近藤創さん
その4 「3代目」

いま振り返れば、わずか29歳で日本一になる近藤さんが大器の片鱗を見せたのは、中学校1年生の元旦だった。ここで少し回り道をする。桐生の生花店の話である。当時、桐生の生花店は華道教室を兼営するところが多かった。当時の桐生は織物が盛んで、文字通り...
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日本1のフローリスト—近藤創さん
その3 「あなたは狡い」

夜行列車で秋田市に向かったのは、大会の前日だった。夕刻、JR桐生駅から両毛線で小山に出て東北線の夜行寝台列車に乗り換えた。花材は段ボールの箱に収め、器となる透明なアクリル製のボックスと一緒に持参した。旅の道連れがいた。群馬県生花商協会の会員...