街の灯 「PLUS+ アンカー」の話  その13 チベット

不動産会社「アンカー」の社長である川口貴志さんは旅行が好きだ。仕事の疲れがたまるとフラリとひとり旅に出る。2019年8月は北海道に出かけた。日本の北の果て・稚内を拠点にしてレンタカーで移動した。

「誰も人がいないところに行きたくて」

高レベル放射性廃棄物の中間処分場にしたらどうかという話が一時出た日本海に面した町・幌延町にも足を伸ばした。

「1,2時間、車を降りてボーッとしていましたが、本当に人っ子ひとりいないんですよね」

仕事の疲れをとるための旅である。日常の仕事はできるだけ頭から追い出す。自分をまっさらな状態に戻すのが旅の目的だ。
だが、どこに行っても必ず足を伸ばす場所がある。町を一望できる小高い丘の上である。登って町を見渡す。

「町を見ながら頭の中に絵を描くんです。自分ならこの町からどんな可能性を導き出せるかって考えながら、です」

徳川家康を尊敬する。

「だって、彼は日本史上最高のデベロッパーですよ。ほとんど何もなくて野っ原だった関東平野を舞台にまちづくりの絵を描き、後に世界最大となる都市・江戸を創り出したんですから。それに、ふるさとの桐生は家康とのつながりで発展した町でしょ。それもあって、同じ業界の大先輩として敬愛しているんです」

家康と同じ目線で町を眺める。どこにどう手を入れれば町の活力を導き出し、人々の暮らしを豊かにできるかを考える。リフレッシュするための旅とはいえ、これだけは欠かせない。まちに生涯をかけた男の性ともいえる。

街の灯 「PLUS+ アンカー」の話  その14 殿様気質

地方都市の不動産屋さんは土地・住宅の売買、賃貸の仲介を主な仕事にするところが多い。だから管理物件をたくさん持つ不動産屋さんが繁栄することになる。自力だけでは業績を思うように伸ばせないと思った不動産屋さんは全国チェーンに加盟して、どんな地方都市でも目につく看板を掲げる。

だが、桐生は独自の道を歩まざるを得ない町である。不動産業の経営も他と同じではダメなのだ。どこにも前例がない自分流の経営手法を生み出さねばならない。

大学を出てすぐ、大手コンビニエンスストアに勤めた経験がある。新規出店を担当する部署だった。たくさんの町に出向き、商店街を歩いて商店主と話した。その中で身につけたことがあった。「自店競合は避ける」ということである。既存の店のすぐそばには新しい店は出さない。同じチェーン店同士でお客様を取り合う愚を避けるのは経営の常識である。

しかし、これまで不動産業は平気で「自店競合」を繰り返してこなかったか? 同じ市内に複数のアパートを持つと、多くの場合同じプレハブメーカーに頼むから、ほぼ同じ外観、内装のアパートが建ち並ぶことになる。場所は違えど同じ玄関、同じ間取り。これで入居する人たちは満足するのか?

「デザイン賃貸住宅」を始めた。新しく賃貸用の住宅やアパートを建てる時には、その土地の特徴を最大限に取り入れる。外観は決して奇をてらわず既存の町の雰囲気に溶け込むデザインにする。北に美しい山並みがある場所なら、北向きに大きな窓を開けた。東南の角部屋が最高とされるアパートだが、全体の形状を変えることですべての部屋が角部屋になって日が差す工夫をした。1棟1棟が違った建物になるから手間はかかるが、住む人の満足度は上がるはずだ。

街の灯 「PLUS+ アンカー」の話  その15 潜在ニーズ

貴志さんは多趣味の人ではない。あえていえば、仕事が趣味、と言ったらよかろうか。趣味の旅行に出たときも、頭の中にはいつも不動産の仕事を通じた「まちづくり」が陣取っている。だからだろうか。「PLUS アンカー」がその姿を現したとき、最初の反応は不動産業の経営者そのものだった。

「これ、新しい不動産営業の取り組みに使える!」

である。どういうことか。

あなたはどんな時に不動産会社を訪ねるだろうか? 引っ越し先で家を探す。事務所、店舗、工場を探す。相続した土地を処分する。家を建てたいので土地を探す。不動産投資を始める……。そのほかにも訪ねる目的は多様だろう。多様ではあるが、一つだけ共通したことがある。不動産会社を訪ねることが必要になった、ということである。ニーズが顕在化したのだ。
だから不動産会社を訪ねる人には、はっきりとした目的がある。

「近くまで来たからついでに寄ってみた」

などという人はほとんどいない。それが貴志さんには物足りなかった。不動産とは暮らしの3要素である衣・食・住の「住」にあたる。すべての人の営みに深く関係があるのに、多くの人はよほど必要に迫られない限り、不動産にはそっぽを向いて暮らしている。家や土地を何とかしなければ、という案件が持ち上がっても、

「面倒くさい。そのうち何とかしよう」

というのが普通の人の不動産対処法だ。不動産会社に足を運ぶのは切羽詰まってからである。

いや、普通の不動産業者なら、それでもいいのだろう。顕在化されたニーズだけでも商売はそれなりに成り立っているからだ。
しかし、貴志さんは人と同じことをしたくない。だから独自の不動産経営を目指す人でもある。

街の灯 「PLUS+ アンカー」の話 その16 急増する名刺

「PLUS アンカー」はコーヒーが飲めて食事が楽しめるだけのカフェではない。華道や琴、着付けなどの芸事の教室を開きたいという人がいて定期開催されるようになった。

「ここで婚活をやってみたいんですが」

という若者もいた。雅子さんが手伝って、すでに3組のカップルが出来た。
自前のイベントも始めた。バーベキュー・パーティ、利き酒会、コンサート……。
様々な、これまで見知ったことがなかった人たちが「PLUS アンカー」を楽しみ始めた。貴志さんもできるだけ顔を出すようにした。

「私、仕事柄人様と交換した名刺の数はかなり多いのですが、『PLUS アンカー』を始めてから名刺の増え方に拍車がかかりました。しかも、それまでは知らなかった世界の方がほとんどなんです」

「アンカー」社内に「PLUS アンカー」のプロジェクトチーム=「アンカー レクリエーション委員会(アンレク)」=を作り、「PLUS アンカー」での仕事も社員の正業にしたのはこの頃である。委員会のメンバー用の手当も新設した。「PLUS アンカー」での仕事も査定の対象に加えたのはもちろんである。

「そうですか、こちらは不動産の『アンカー』さんが経営されているんですか」

雅子さんや、店長の二渡晴子さんを通じて、「アンカー」を知り、身近に感じる人も日を追って増えた。

「実は、家を探しているんです。いま住んでいるところが手狭になってずっと迷ってたんですが、『アンカー』さんにお願いしたら安心できそうなので」

1年ほどたつとそんな相談がわきだし始めた            。

街の灯 「PLUS+ アンカー」の話 その17 まちの結節点に

貴志さんが、「PLUS アンカー」には自分の計画には収まりきれない大きな可能性があることに気がついたきっかけも、雅子さんと同じだった。不動産会社「アンカー」の一部門として掌の上に乗せているつもりだったカフェがいつの間にか自由に跳び跳ね始めたのである。

「知らないうちに、ここが町の人たちの舞台になっていたんですよ」

「その12」で取り上げた市の若手職員が始めた朝の勉強会「Kiryu Asa Café plus+」も「ざっくばらんな飲み会」も、貴志さんたちアンカー勢が企画したものではない。普通の人たちに最先端の科学を知ってもらおうと群馬大学理工学部の先生たちが開いていた「サイエンスカフェ」の会場は市内を転々としていたが、いつの間にか「PLUS アンカー」に定着した。
そして、それぞれの催しが、それぞれ全く違った市民、時には市外の人を「PLUS アンカー」に呼び寄せる。呼び寄せられた人たちの中から

「こんなことに使わせてもらえませんか?」

という声がかかり始める。

「私、不動産業を起業して30年以上になっていろんなことを知っているつもりでしたが、私が知らないこと、知らない人がこんなにたくさんいて、こんなに多彩な活動があったのか、と驚きました」

その驚きは間もなく確信に変わった。

「桐生は奥深い。底力がある。桐生は必ず再生できる。『PLUS アンカー』はその発進基地になるはずだ」

織田信長は居城を設けた美濃国・岐阜で楽市・楽座を始めた。商工業への規制を緩め、町人が自由に経済活動を出来る環境を整えて城下町の繁栄を築いた。
殿様気質を自覚する貴志さんは、「PLUS アンカー」を根城にした桐生のまちづくりを探り始めた。狙いは信長と同じである。桐生の経済活動を活発にするのだ。ただ、信長は商工業者の活力を引き出すことを考えた。だが貴志さんは市民の活力を引き出す必要はない。すでに市内にはエネルギーがある。殿様は黒子になって、まちのエネルギーが自然に溢れ出す道筋作りに一所懸命取り組み続ければいい。