花を産む さかもと園芸の話 その2 サボテン

坂本正次さんは埼玉県東松山市で、農家の7人兄弟の末っ子、3男坊として生まれた。子どもの頃は農作業を手伝ったが、中学に進むころ、父から農業を受け継いでいた12歳上の兄が農業に見切りをつけてガソリンスタンドに転業した。正次さんと農業との縁は、一度切れた。

中学生になった正次さんはサッカーに魅せられ、熱中した。よほど適性に恵まれていたのか見る見る上達し、サッカー選手を夢見るまでになった。
そんな正次さんの人生を変えたのはお兄さんである。農業高校を出て、ガソリンスタンド経営の傍ら庭でたくさんの花を育てていたお兄さんがある日、旅行の土産に一鉢のサボテンを買って来てくれたのだ。正次さんは、なぜかサボテンに夢中になる。学校ではサッカーで汗を流し、帰宅するとサボテンの世話。

「春先に植えて自分で増やすのが楽しくなった」

のは、やはり農家の血が流れていたからだろうか?
高校でもサッカーは続けた。が、サボテンへの没頭ぶりはサッカー熱を上回った。受験勉強はそっちのけで授業中もサボテンの本を読みあさった。専門店からカタログを取り寄せ、未知の品種の研究も怠らない。

「サボテンも安くはないので、自分で増やしたものを別の品種と交換してもらっていました。当時、専門店で見るサボテンでも、名前を知らないのはなかったなあ」

サボテンへの熱は日を追って高まる一方だった。高校卒業が見えてきたころ、サッカー推薦で大学を紹介してくれる人もいたが、正次さんは迷わず決意する。

「サボテンを一生の仕事にしたい」

花を産む さかもと園芸の話 その3 結婚

サボテンは諦めたものの、草花で生活を築きたいという思いは消えなかった。いや、サボテンへの思いを断ち切らねばならなかった分だけ思いは強まったともいえる。

だが、

「だから、実家の空いた土地を転用して農園を始めました」

と短兵急にことを進めないのも、正次さんである。

迷った。サボテンがダメなら造園業に就職しようか。それとも大学で学んだ知識を使って樹木医になろうか。あれこれ考えたが、

「やっぱり自分の手で植物を育てたい」

という思いは消えない。迷いながら農業関係の出版社が主催した鉢物生産講座を受講してみた。欧州でアジサイの人気が高まり、生産が伸びているという。

「そうか、アジサイなら育てることが出来るかも知れない」

頭を切り替えた。大学の指導教授に話すと、教え子を紹介してくれた。栃木県日光市で主にシクラメンを育てている谷澤園芸の谷澤一三さんである。花を育てるのなら、まず現場を知らねばならない。正次さんは谷澤さんの家に住み込み、修業を始めた。花まみれ、土まみれの1年2ヶ月は、テレビを見る時間もないほど働き、学んだ。

谷澤園芸で学びながら、正次さんはさらに2つのことを並行して進めた。独立して自分で持つはずの農園の土地探しが1つ。もう1つは結婚を急いだのである。

ここでの読者の関心は、おそらく「結婚」に集中するだろう。よろしい。正次さんの結婚から話を進めよう。

相手はもちろん久美子さんである。中学の同級生だった。誕生日が3日違いの「お姉さん」である。高校は男女別学で縁は途切れたが、大学に入ると通学電車で顔を合わせるようになり、いつかグループでの交際が始まった。2人だけの時間を持つようになったのは大学を卒業するころからだった。
ここは久美子さんに登場してもらおう。

「はい、ときどき正次さんが私の家に来るようになりました。私の車でドライブに行くんです。遊びや映画の話しかしないサークル仲間と違って真面目に人生の話をする人で、サボテンに賭けた夢を訥々と話すんです。大学に進んだのもそのためで、だけど金がなくて、なんて。ああ、他の人と違って、この人は大地に足がついた、しっかりした考えを持って生きてるなって惹かれるものがありましたからお付き合いを続けました」

花を産む さかもと園芸の話 その4 土地探し

それまでも2人は時間を無駄にはしなかった。2人で土地を探して北関東を歩き回った。2人の暮らしを始めるだけならどこでも良かったろう。だが、自分の手で花を作るのは正次さんが生涯をかけた夢である。久美子さんはそんな正次さんに惹かれたのだ。花卉生産農家にとって、農園の立地は何よりも重要だ。

2人が抵抗を受けたのは結婚だけではなかった。花卉農園を始めるという正次さんの計画も、正次さんの親兄弟を含めた周囲から強い反対を受けた。何しろ、正次さんの実家は農業に見切りをつけて転業をしていたのである。兄が諦めた農業をこれから始める?

「それほど言うのだったらやってみろ。俺にできるだけの応援はする」

と言ってくれたのは正次さんのおじさんただ1人だった。その頃正次さんのお父さんが亡くなる。少しばかりの土地を相続した。その土地を売る。おじさんからお金を借りる。正次さんの手元にあった開業資金はそれだけである。ゼロから花卉農園を始めるには決して潤沢とはいえない。

だから、購入する土地の条件は、まず安いことだった。そして、せめて1ヘクタールは欲しい。地価が高ければ狭い土地しか買えず、育てる鉢の数が減って採算がおぼつかなくなる。

条件の2つめは、夏涼しいところである。育てようと計画したシクラメンは涼しいところが好きだ。アジサイも秋が早く来ると開花が早まって出荷に都合がいい。しかし、冬寒すぎると暖房費がかさんで経営を圧迫する。標高500m程度の準高冷地がいい。

3つ目は大消費地東京に近いことだ。育った花は市場に出さなければならないが、1日で往復できる距離でないとやっかいだ。加えて実家との距離があった。2人とも埼玉県東松山市にふるさとがある。久美子さんが長女ということもあり、ここからも1日圏が望ましい。

花を産む さかもと園芸の話 その5 5年

少なくとも5年は農業を続ける。黒保根の農業委員会で誓ったことは、決して口から出任せではなかった。正次さんははじめから5年を1つのめどと考えていたのである。とにかく、5年間は無我夢中でやってみる。しかし、5年たっても芽が出なければ花の育成に踏ん切りをつけてサラリーマンになろう。すでに妻のある身なのだ。いつまでも夢を食ってばかりはいられない。
燃える思いに駆り立てられながら、だが心のどこかでは失敗することも織り込んで冷静に人生を設計していた。

「やらずに後悔するより、やって後悔した方がいい」

は正次さんの口癖である。

それでも、最初から失敗しようと思って事業を始める人はいない。目指すのは輝かしい成功である。だから、思いつく限りの知識を身につけて準備を整えたつもりだった。

「だけど、正次さんの家はガソリンスタンド、私の家は製麺業です。農業は頭の中にしかなかった。現実の農業の厳しさを知らなかったんですねえ」

実際に大地を相手に仕事を始めると、いくつもの障害にぶつかった。中でも困ったのは、出るはずの地下水が出なかったことだ。30mも掘れば出るといわれていたのに、出ない。鉢物を育てるには質のいい水が大量に必要なのに、出ない。
やむなく沢水を引いた。ずいぶん下の方にしか水がなかったため、ポンプを使って2段階で水を揚げる。コストが膨らんだ。水量も不足気味だ。
諦めきれずに、掘削途中で放り出していた井戸を再び掘り始めた。100mまで掘り進んでも出なかった。さらに掘り進むこと数10メートル。

「やっと井戸水がわき出しまして。いやあ、ホッとしました」

まずは暮らしを安定させようと、キキョウ、桜草類、ベゴニア類、アジサイ、シクラメンなどいろいろな花を手がけた。はじめから切り花は全く考えなかった。精魂込めて育てる花だ。できるだけ長く花の盛りを保って楽しませて欲しい。だから鉢物に特化した。

うまく育って売れた花もある。しかし、見切り発車同然の出発だ。設備がまだ整っていない。花と株のバランスが悪かったり、葉が少なかったり、花がなかなか咲いてくれなかったりで、出荷品の量と質のコントロールが思うに任せない。うまくできたと思っても買い手が付かなかったり、安値でしか出荷できなかったり、で暮らしはなかなか安定しない。

だが、泣き言は言えない。朝7時過ぎには仕事を始める。それも花の世話だけではない。設備を整え、雑草を抜き、と仕事は後から後からわいてくる。出荷時期には夕方5時になるとトラックに花を摘んで東京の市場まで届けた。戻りは深夜だ。

花を産む さかもと園芸の話 その6 アジサイ

アジサイは日本原産の花である。ガクアジサイと呼ばれる。主に海岸沿いに自生し、「万葉集」にも詠み込まれている。

幕末、長崎の出島に滞在したドイツ人医師がいた。鳴滝塾を開き、西洋医学を日本に伝えたフィリップ・フランツ・フォン・シーボルトである。数多くの日本人蘭方医を育てて日本の医療技術近代化に大きな貢献をした彼は、植物学にも深い関心を持つ博物学者でもあった。日本地図を持ち出そうとして国外追放処分を受け、1930年にオランダに去った際、アジサイ属の花14種を持って行った。これが西洋で人気を得て品種改良が盛んになり、日本原産のアジサイと区別するためハイドランジア(西洋アジサイ)と呼ばれるようになった。

事業にやっとめどが付き、やりたかった育種(交配などで新しい種を創ること)に取りかかろうとした正次さんの目を惹いたのがアジサイだった。さまざまに品種改良されたアジサイが輸入されているが、その原産国は日本。しかも、日本では品種改良するところがない。おそらく、それが正次さんの興味を惹きつけたのだろう。幸い、アジサイはすでに手元にある。日本初のアジサイ交配をやってみよう。

私たちがアジサイの花だと思っているところは、実は花ではない。花びらように見えるのは装飾花(花弁の根元で花を支えているガクが変形したもの)なのだ。この装飾花をかき分けて中を覗くと、米粒大のものが固まってある。これがアジサイの花(真花)である。

ご存知のように、植物を交配するには、花の中のおしべから花粉を取り、めしべに着けてやらなくてはならない。それは常識だろうが、アジサイの花は米粒ほどの大きさしかないのだ。おしべもめしべもこの中に入っている。顕微鏡でも持ち出したくなるほどの小ささである。