近藤創

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日本1のフローリスト—近藤創さん
その16 育成

魂を入れる——近藤さんは毎月1回、県内で講習会を開き始めた。対象は群花協、花キューピットのどちらかに加盟している群馬県内の花屋さんである。自分で講師を務めた。それだけでなく、年に数回は外部から講師を招いた。全国大会で上位に入賞する後進を育て...
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日本1のフローリスト—近藤創さん
その15 仏つくって

1980年代の後半、日本は未曾有の繁栄を謳歌した。株価、地価が天井知らずに上昇した。札束に羽が生えて日本中を飛び回っていると表現する人もいた。そのバブル経済が崩壊したのは1990年である。景気が過熱したと判断した日本銀行は89年5月から金利...
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日本1のフローリスト—近藤創さん
その14 挫折

1995年は日程の関係で、インターフローラ・ワールドカップの国内予選と花キューピットのジャパンカップ大会が同じ宮崎市の会場で、同じ日に開かれた。まずジャパンカップの競技会が開かれ、その上位入賞者と、直近4年間の実績でワールドカップ予選への出...
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日本1のフローリスト—近藤創さん
その13 世界一を目指す

1989年、花のワールドカップといわれるインターフローラ・ワールドカップ(Interflora World Cup 1989)が東京で開かれた。世界最大の生花店組織であるインターフローラが1972年に始め、4〜5年に1回開くフラワーデザイン...
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日本1のフローリスト—近藤創さん
その12 スランプ

この頃、日本のフラワーデザインは大きな変革期を迎えていた。当時のフラワーデザインの主流はドイツデザインである。ドイツのフラワーデザイナーが日本の華道、小笠原流を研究して生み出した。華道の世界には日本ならではの美意識が埋め込まれている。空間を...