朝倉染布・目次

朝倉染布

創業明治25年。織都・桐生の地で培われた高度な染色加工技術を持つ。おむつカバーの撥水加工や五輪競泳水着の進化を支えた。一度は時代の波に押されて捨てかけた技術を「超撥水風呂敷・ながれ」へと昇華させ、数々の賞を受けた。(全15回)

第1回:魔法の布水を弾くが通気性もある超撥水風呂敷「ながれ」。染色加工技術から生まれた「魔法の布」だが、背景には「おむつカバー」への情熱が。
第2回:おむつカバーかつて赤ちゃんを悩ませた「おむつかぶれ」。蒸れを防ぐには「水は通さず空気は通す布」がいる。1970年代後半、東レが開発を朝倉染布に託した。
第3回:共同特許1980年、蒸れないおむつカバーの開発に成功。しかし洗濯による機能低下や、加工現場で使用する有害な有機溶剤の危険性という大きな課題が残った。
第4回:ガスマスク有害な溶剤から社員を守るため、ガスマスクを常備し高額な密閉機械を導入。だが、溶剤が機械を腐食させた。安全な撥水剤の自力開発を決意した。
第5回:エマルジョン化水に溶けない撥水剤を、界面活性剤を用いて水に溶かす「エマルジョン化」に挑む。試行錯誤の末、100回の洗濯にも耐える超撥水技術を確立した。
第6回:パンパース市場を独占した朝倉染布の撥水布だったが、1970年代末に上陸した「パンパース」に圧倒される。需要は激減し、事業撤退を検討する窮地に陥った。
第7回:奇跡の糸1960年代、伸縮自在な「奇跡の糸」スパンデックスの染色加工に挑む。4年の試行錯誤で道を拓き、下着やスポーツウェアの進化を支える先駆者に。
第8回:競泳用水着1970年代、水の抵抗を減らす「武器」として水着が進化。身体を締め付けるスパンデックスに白羽の矢が立ち、開発チームの重要拠点を担った。
第9回:伸縮度水着に理想の伸縮度を与えるため、スパンデックスの熱処理温度をミリ単位で制御。この技術が、ソウル五輪での鈴木大地選手の金メダル獲得を支えた。
第10回:色落ち塩素にさらされる競泳用水着は色落ちとの戦い。採算度外視で洗浄工程を極め、自社内に猛烈な濃度の塩素プールを造って妥協のない品質を追求した。
第11回:魔法の糸と撥水加工水の抵抗を減らす「撥水」が競泳界の主役に。独自技術を信じ、全面撥水の開発に注力。だが、秒単位で記録を更新する「レーザー・レーサー」登場で水着は革命を迎えた。
第12回:魔法の糸と撥水加工ルール改正で素材の主役は「織物」へ。数年かけ加工技術をゼロから再構築し、リオ五輪のメダルラッシュを支えた。競泳界を支える砦である。
第13回:脱下請け取引先の夜逃げを機に中間業者の高い利益率を知り、自社販売への挑戦を決意。しかし既存ルートの壁は厚く、2年目に早くも厳しい現実に直面した。
第14回:得意技術展示会での苦戦や在庫の山を経て、弁当包みをヒントに生まれた超撥水風呂敷「ながれ」。記者の目に留まったことで「雨具やシャワーになる布」として注目を浴び始めた。
第15回:「ながれ」はいまプロのデザインと演出を取り入れた「ながれ」は、グッドデザイン賞や国際的デザイン賞を相次いで受賞。災害時にも役立つ「命を守る布」として、世界が認めるブランドへと成長を遂げた。