松井智司の「美」

松井ニット物語

その4 四丁目小町

智司少年は、あまり手がかからなくなった5歳になって生家に戻った。すぐ近くに、「四丁目小町」と呼ばれた父方のおば、富貴さんが嫁いでいた。ご亭主は桐生工業専門学校(いまの群馬大学理工学部)の先生である。魚屋だった松井家が機屋に転業したのは、親が...
松井ニット物語

その3 藤娘

預け先の母の実家は丸帯専業の機屋だった。こちらも他に先駆けて力織機、それも※ジャカード織機を入れ、当時の最先端の技術で美しい帯を織っていた。※ジャカード織機:コンピューター制御織機の先駆けともいえる自動織機。穴の空いた厚紙(紋紙、という)で...
松井ニット物語

その2 虚弱児

まだ幕の内。新年の目出度さが残る昭和13年(1938年)1月5日、智司社長は實さん、タケさんを両親とする4人兄妹の次男として桐生市内の産院で産声を上げた。松井家はもと鮮魚商で、明治末に機屋に転業した。「松井工場」といった。当時は※銘仙機屋で...
松井ニット物語

その1 旅立ち

松井ニット技研のデザインについて書きたい。といっても、筆者は芸術や美学には全く縁がない野暮天である。絵画を中心とする芸術の歴史や色彩理論の流れなど全くわきまえない全くの素人にすぎない。それでも、松井ニットのマフラーからあふれ出す美しさのルー...