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日本1のフローリスト—近藤創さん
その14 挫折

1995年は日程の関係で、インターフローラ・ワールドカップの国内予選と花キューピットのジャパンカップ大会が同じ宮崎市の会場で、同じ日に開かれた。まずジャパンカップの競技会が開かれ、その上位入賞者と、直近4年間の実績でワールドカップ予選への出...
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日本1のフローリスト—近藤創さん
その13 世界一を目指す

1989年、花のワールドカップといわれるインターフローラ・ワールドカップ(Interflora World Cup 1989)が東京で開かれた。世界最大の生花店組織であるインターフローラが1972年に始め、4〜5年に1回開くフラワーデザイン...
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日本1のフローリスト—近藤創さん
その12 スランプ

この頃、日本のフラワーデザインは大きな変革期を迎えていた。当時のフラワーデザインの主流はドイツデザインである。ドイツのフラワーデザイナーが日本の華道、小笠原流を研究して生み出した。華道の世界には日本ならではの美意識が埋め込まれている。空間を...
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日本1のフローリスト—近藤創さん
その11 指導員

そして近藤さん、32歳。「えっ!」という依頼が舞い込んだ。このころ「花キューピット」と呼ばれるようになっていたJFTD(Japan Flower Telegraph Delivery=日本生花商通信配達協会)の本部から「フラワーデザインの指...
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日本1のフローリスト—近藤創さん
その10 熟成

「あ、私は基本に囚われすぎていたのではないか?」と気が付いた時、近藤さんは28歳になっていた。私は学びすぎたのではないか? と思いついたのだ。それを近藤さんは「学ぶことの落とし穴に落ちていたようなんです」と表現した。人は多かれ少なかれ、学ん...