片倉 洋一さん:デザイナーの作り方

東海大学工学部で学んだ設計思考と、ロンドン・パリで磨いた芸術性を融合させたデザイナー。世界初の刺繍の珠「スフィア」を開発し、桐生の老舗・笠盛で「000」ブランドを確立した。(全21回)
第1回:工学部卒刺繍ジュエリー「000(トリプル・オゥ)」の生みの親、工学部出身で数学に強い異色の経歴が「糸の珠」を可能にした。工学とデザインの融合が、刺繍を塗り替えた。
第2回:モーダモン会場でパリの展示会で糸と貴金属が響き合うジュエリーに衝撃を受ける。ケミカル刺繍による自社製品がシャネル等に採用される中、さらなる飛躍のため、刺繍界の非常識である「立体的な珠」の実現へと動き出す。
第3回:「000」ブランド下請け脱却を目指し誕生した「000」。当初はクッションも展開したが、需要の限界を受け「本業の刺繍」への集中を決断。退路を断ち、刺繍アクセサリー1本で勝頼に出る。
第4回:真珠顧客の「毎日使えるものがほしい」という声から、片倉さんは究極にシンプルな「刺繍の真珠」を構想する。刺繍界では不可能とされる立体的な「珠」の制作。退路を断った職人たちは、ゼロからの挑戦を決意する。
第5回:糸を作る「000」の原点「DNA」開発時、理想の張りと光沢を持つ糸はなかった。既成概念を捨て、糸商の助言を得て独自の「たすき撚り」を導入。試作を重ね、刺繍界の常識を超えた「アクセサリー専用の糸」を創り出す。
第6回:数学の発想父の教え「すべての可能性を試せ」を胸に、は刺繍による「珠」の立体化に挑む。直線の糸をどう重ねるか。数学の「円は無数の接線の集合」という概念をヒントに、プログラム担当と夜を徹して計算と試作を繰り返した。
第7回:「珠」ができた!算盤玉のように歪む形状を、物理の「アーチ構造」を応用した糸の噛み合わせで克服。展示会直前、ついに2本の糸だけで自立する立体的な「珠」が完成した。思わず漏れた「できちゃった」の一言。
第8回:スフィア プラス世界初の刺繍の珠「スフィア」が誕生。糸の強みである「色」を追求し、さらに留め具をどこでも固定できる設計にすることで、ネックレスから「長さ」の制約を解放。ブランド不朽のベストセラーに。
第9回:インテリア・ライフスタイル展2013年の展示会で、主催者選出の目玉ブースで「スフィア」を発表。刺繍を3次元へ進化させた圧倒的な美しさはバイヤーを熱狂させ、注文が殺到した。成功に湧く中、「より大きな珠」への要望を聞く。
第10回:13㎜最大級の真珠に匹評する13㎜の珠に挑戦。住宅建築の「基礎」に着想を得て、中心に空洞を作ることで立体の安定に成功した。技術刷新を重ねる「スフィア」は、歩留まりも劇的に向上。
第11回:洗う研究室長く愛用してもらうため、有志と「洗う研究室」を発足。汚れを研究し、防汚性に優れた糸を共同開発した。「伝えた」で終わらせず、ユーザーの手入れの悩みまで解決を試みる
第12回:ファッション少年高校時代、友人の影響で原宿に通い詰めた。限られた小遣いで古着の知識を吸収し、大学ではデザイナーズブランドに傾倒する。当時は無自覚だったが、この日々が、将来のデザイナーへの一本道となっていた。
第13回:ロンドン大学時代、米国旅行で異文化に触れ「海外で暮らす」選択肢を得た。憧れの英国文化に導かれ、ロンドンでデザインを学ぶ決意を固める。父も「お前の人生だ」と背中を押し、工学からファッションの世界へ飛び出した。
第14回:勉強の虫ロンドンで英語検定を突破し芸術大学へ。必修講座で「テキスタイル自体をデザインする」面白さに目覚める。工学の知識と美術を融合させる指針を得て、5つの図書館を巡る「勉強の虫」に。
第15回:ヤコブ・シュレイファースイスの名門生地メーカーの社長に直談判し、異例のインターンを勝ち取ったん。世界最高峰の現場でテキスタイルをデザインし、ブラジルのデザイナーに作品が採用される。プロのデザイナーとしての第一歩を異国の地で踏み出した。
第16回:卒業制作ヤコブ社の支援を受け、レーザーカットを駆使した大胆な卒業制作を完成させる。最高評価を得てロンドン芸術大学を卒業。作品は大学に買い上げられ、新聞でも紹介された。次なる舞台「パリ」へと旅立つ。
第17回:ドミニク・シロパリで名門ドミニク・シロに採用される。緻密な仕事が評価され、パリコレの最後を飾るウエディングドレスのケープ制作に抜擢。成功を収めるが、ビザの壁に阻まれ、志半ばで帰国を余儀なくされる。
第18回:桐生通いロンドンの美術館で衝撃を受けたテキスタイル作家・新井淳一氏を訪ね、桐生へ。新井氏のプロジェクトを無給で手伝いながら、桐生の高度な技術と職人たちの熱量に触れる。
第19回:新井淳一という人新井氏は、高度な技術を裏に隠し、懐かしくも新しい美を創る「織りの達人」だった。科学への飽くなき探求心と、民族衣装や人形劇まで血肉とする多才な巨人の姿。その哲学に触れた経験が、片倉さんの根幹を形作った。
第20回:笠盛桐生の文化に可能性を感じ、稀な設備を持つ「笠盛」の門を叩く。倒産危機の最中にあった笠原社長との出会いを経て、2005年に入社。スイスのヤコブのように、地方から世界へ。ブランド「000」への道が始まった。
第21回:プレイング・マネージャーマネージャーとなり、自身の歩みを綴った「私の人生を変えた人」を社内配信し始めた。一流メゾンへの突撃を教わった友人や恩師の言葉を共有することで、仲間の個性を引き出し、組織全体の創造性を高めようとする新たな挑戦が続いている。