近藤 創さん・目次

近藤 創さん:日本1のフローリスト

桐生の生花店「花清」3代目。華道「草心古流」の家元。29歳でフラワーデザインの内閣総理大臣賞を受賞し日本一に輝く。挫折を糧に後進育成へ尽力し、群馬のフラワーデザイン界を底上げした。(全16回)

第1回:内閣総理大臣賞桐生の生花店「花清」の近藤創さんは、29歳でフラワーデザインの全国大会を初出場で制した。県代表を託され、事務用品のカタログから着想を得た「ボトルシップ」のような独創的アイデアで、最高栄誉の内閣総理大臣賞に輝いた。
第2回:「綺麗」と「綺麗ではない」大会に向け、人工的な華やかさと朽ちゆく自然の対比をコンセプトに。深夜まで花と格闘し、デザインを何度も見直す日々。眼力と技術がせめぎ合うスランプを乗り越え、納得のいく表現に辿り着いたのは大会直前だった。
第3回:「あなたは狡い」夜行列車で秋田へ。スーツ姿で競技に臨んだ。緻密な時間配分と圧倒的な構成力で、初出場で内閣総理大臣賞を受賞。審査員からは、誰をも魅了する完璧な色の組合せを使いこなした手腕を「狡い」とまで称賛された。
第4回:「3代目」桐生の織物文化が支えた生花店「花清」で祖父から「3代目」と呼ばれ育った。中学1年の元旦、突然床の間の花を託される。正式な修業前ながら、日常的に目にしてきた父や祖父の技を頼りに、初の活け花に挑む。
第5回:門前の小僧中1生の元旦、記憶を頼りに松の「矯め」に挑み、合格点を得る。これを機に「3代目」として正式な修行を開始。1種類の木で老木の姿を写し取る古流の技を学び、以後、家の正月の花を任される。
第6回:花清の方向転換織物産業の陰りで活け花需要が減る中、父は個人消費を見据えたフラワーデザインへの転換を決断。大学2年の夏、近藤さんに、未経験のフラワーデザインコンテストへの出場を促し、「花清」の新たな歴史が動き出す。
第7回:2位入賞大学2年、初挑戦のフラワーデザインコンテスト。父は「お前の作品の方がいい」と息子の作を店代表として出品し、見事全国2位に輝く。
第8回:フローリスト養成学校大学3年、東京の養成学校へ。後に妻となる祐子さんと共に学ぶ近藤さんは、校長から後継者に指名される。中央での華々しい道に揺れるが、桐生の「花清」を継ぐ3代目としての道を選んだ。
第9回:何故勝てない?大学卒業後、妻・祐子さんと共に「花清」を支える。過酷な東京仕入れと数多くの注文をこなす傍ら、コンテストに挑み続けるが、上位入賞止まりで優勝に届かない。「無冠の帝王」と揶揄される日々に。
第10回:熟成「基本という壁」に閉じこもっていた自分に気づいた時28歳。教科書通りの美しさを捨て、華道の伝統と自由なフラワーデザインを融合させる挑戦を始めた。29歳、ついに内閣総理大臣賞という栄光を掴み取る。
第11回:指導員32歳で花キューピットの最年少指導員に。全国を回り、自身の感性を言語化して伝える講習会で多くの刺激を受ける。しかし、指導者として充実する一方で、プレーヤーとしては優勝から遠ざかる日々に、自問し始める。
第12回:スランプドイツデザインに傾倒し、花を主役とした「自然の姿」を追求する。だが時代は、花を素材として扱うモダンアート的な作風へ。新しい潮流に抗う中で再び「無冠」に陥るが、自身の美学で世界一を目指す決意を固める。
第13回:世界一を目指す1989年の東京大会で村松文彦氏が世界一となり、近藤さんは30代での世界制覇を誓う。日本代表最有力候補として臨んだ初のアジアカップ。運営の不備やルールの違いに戸惑いながらも日本人最高位の2位に輝き、いよいよ世界予選へと挑む。
第14回:挫折1997年世界大会への切符を賭けた日本予選。確信に近い自信を持って臨むも、直前の大会での不振に動揺し、結果は2位。世界一への夢を断たれ深く挫折するが、この敗北が鼻高々だった自分を変え、人生をより豊かにする転機となった。
第15回:仏つくって近藤さんは指導員を退き、地元群馬の底上げを決意する。自分1人が強いだけでは文化は育たない。「仏作って魂入れず」の現状を打破すべく、自分を脅かすほどの後進を育てるため、地元の基盤作りに心血を注ぎ始めた。
第16回:育成月例講習会を続け、10年以上の歳月をかけて群馬から全国入賞者を輩出。次男へもバトンを繋いだ。2018年に役職を退くも、その感性は今も作品に宿る。父の雅号を継ぐべく「創」と名を改め、一介の花屋として、不変の美を追求し続けている。